そうこう考えていた大学2年の頃。

倫理学の授業で
北の先進国が南の後進国の環境破壊・生活破壊を起こしていること
またそれが先進国側の意識しないうちに生じてしまっていること
いわゆる南北構造を学びました。

そこで、北欧・西欧諸国中心に行われている「開発教育」という言葉を知りました。



DEAR(開発教育協会)の定義では

開発教育
世界で起きている問題(貧困・飢餓・紛争・戦争・環境破壊・人権侵害)を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加するための教育活動
http://www.dear.or.jp/de/index.html


日本ではまだあまり馴染みのない教育活動ですが
開発教育を通して

子どもたちが世界に興味を持つ・視野を広げられるきっかけになるのではないか

・他者への思いやりの気持ちを育てるきっかけになるのではないか

・何らかの気付きや問題意識を通して、モチベーションを高められるのではないか
(「国際貢献したい」「環境を大切にしたい」あるいは「勉強できる環境のありがたみがわかったから勉強を頑張ろう!」等でも良いと思います。子どもたちの個性に応じて様々な形の意欲が芽生えるのではないでしょうか)

と感じました。


開発教育によって
「先進諸国が開発途上国に目を向けられる公正な社会をつくりたい」
という思いももちろんあるのですが、
なんだか上の3点のように書くと、むしろ学習者である子どもたち側に
大きくフォーカスが当たっていますね。
でもいまの私にとっては、それが素直な気持ちなのかもしれません。笑

このようなかたちで、気持ちが次第に教育・開発教育・開発途上国に向いていきました。


そこで、実際に日本の教育現場を知るため
教育系の会社に4年間勤務。

同時に開発途上国(フィリピン、カンボジア、インド、ウガンダ)での
短期ボランティアに参加しはじめた、という経緯です。



在職時、高校現場を訪問する中で
毎日のように先生方の課題、子どもたちの課題、
そもそもの指導要領の枠組みに潜む課題を
突き付けられました。


いま書きながら改めて気付きましたが
自分はきっと、子ども・ヒト・心理・成長に強い関心があるのだと思います。

上記のような指導側、指導の枠組みの課題も当然大切なのですが、
直接見えること、データを通して見えてくること
あらゆるきっかけと材料を通して
いつもいつも子どもたちの課題や考えていることを知ろうとしていました。


学校には多様な子どもたちがいます。

自分の力で頑張れる子どもたちがいる一方で
「目標が見つからない、やり方を教えてもらわないとできない、世界の出来事なんでテレビの向こうの話、英語なんて話せなくても構わない」という子どもたち・・・

そんな子どもたちが躓く原因は、決して子どもたち自身にあるわけではありません。

「意欲を喚起できるきっかけ・環境さえあれば、
どんな生徒でも変われる可能性がある」
指導に長けた先生方が、口を揃えておっしゃっていた言葉です。

大学の全入化・競争緩和によって子どもたちの学ぶ目的意識が低下しつつある中、モチベーションや意欲を高めるための新しい教育の必要性を改めて感じました。

余談ですが
Educationという言葉には
ラテン語でe-(外に)+duc(導く)=
子どもたちの内面にある可能性を引き出す
という語源があるそうです。

はたして、現行の教育指導や試験方式は
この役割を果たしているでしょうか。

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こうして
将来開発教育(異文化教育)のようなモデルを普及したい
そのために教育と途上国開発に関する知識を深めたい
という2つの思いが相まって、1月にイギリスに来ました。



開発教育が子どもたちにどんな効果をもたらしうるのか
別途綴りたいと思います。