【超えられない存在】 | ”ミ”スターAkiraの救急救命室

”ミ”スターAkiraの救急救命室

2012年初頭、“クモ膜下出血&”脳梗塞“で倒れながらも、何とか独り暮らしが出来るまでに。
この間、お世話になった病院や施設、自主トレ用に用意した用具やアイテム、「障碍者でも利用できる施設&レストラン」をDateランダムに記録した個人奮闘日記。

【超えられない存在】

 


去年の夏、父が死んだ。

ガンだった。...

それまで病気一つしない父だったが、
亡くなる2年前からガンを患っていたらしい。

家族の誰もが父がガンだっとという
事実を知らなかった。

父が亡くなる1週間前に仕事中に倒れ、
病院に行って初めて父がガンだと知った。

父は2年前から1人黙って抗がん剤の治療を
していたが、ガンの進行が早く、父は担当医に

「家族には知らせないでほしい。

このまま家族の元で死にたい。」

と言っていたらしい。

僕はその頃、実家を離れ看護の専門学校に
通っており、学校に電話が来た。

父が亡くなったという知らせだった。

僕は何がなんだかわからなかった。

急いで実家に帰った僕を待っていたのは
体の冷たくなった父だった。

僕は母に事情を聞いた。

「お父さんはガンだったみたい。

お母さん達もこの前知ってビックリしてたの。

それとね、お父さんが倒れた時に○○に
は伝えるなって、

あいつは今、看護師になる勉強を頑張って
いるから心配はかけるなって言われたから
連絡はしなかったの。」

僕はそれを聞いて泣き崩れた。

「ふざけるな!!
なんで黙ってたんだよ!!
最後くらいちゃんとありがとうって言わせろよ!!
今まで育ててくれてありがとうって言わせろよ!!」

と叫んだ。

その日は1日中泣いていた。

父が亡くなって1年が過ぎ、僕が看護師
として働き始めて間もないある日、
母から1本のビデオテープと手紙が
届いた。

手紙を読むと

「お父さんが○○が看護師になったら渡して
ッて言われて、お母さんが預かってたの」

と書いてあった。

ビデオを見ると、そこには病院の
ベッドにいる父が映っていた。

父からのビデオレターだった。

「○○元気でやってるか??

お父さんも元気だぞ。

お前がこのテープを見てる頃には

お前は看護師になってるんだろうな。

よく頑張ったな。

でも、お前を祝ってやれなくてごめんな。

お父さんはガンでもう近くにはいないんだ。

お前を育てて20年本当にお前が生まれて

きてくれて良かった。

昔から息子が欲しくて3人目でやっと

お前が生まれてきてくれて本当に

嬉しかったよ。

お前とキャッチボールをしたり、一緒に

風呂に入ったりするのが夢でその夢が

叶って良かった。

でも、本当はお前と酒を飲みたかったし、

お前の子供にも会いたかったよ。

なあ○○、お父さんはお前にとって良い

父親だったか??

お前の目標としてお前の前にいれたか??

やっぱりお父さんじゃダメだったかな。

お父さんはお前に会えて本当に幸せだ

たよ。

お前と20年しか一緒にいれてやれなかった

けど、本当に楽しかった。

ありがとう。

いつまでもお前を見守ってるからな。」

それでテープが終わった。

テープを撮った2日後父は亡くなった。

僕はテレビの前で泣き崩れていた。

父の1回忌に墓参りに行き、

父に伝えた。

「父は最高の父親だったよ。

今でもお父さんは僕の一生超えられない

目標だよ。

本当に今まで育ててくれてありがとう。」