カス・ダマトとの別れ
タイソンとダマトは深い絆で結ばれていた (Photo:(c)Ken Regan/Camera 5)俺がキャッツキルの家に移り住んだころから、カスは病気をかかえていて、慢性的に咳をしていた。このところ俺の試合に同行しないことが続いたから、病状の悪化は察していた。ロングやコーリーとの試合のときは家にいたが、ベンジャミン戦はレイサムの会場へ観に来ていた。
病気なのはわかっていたが、俺がチャンピオンになる瞬間は必ず見届けてくれると信じていた。ずっと二人でこの夢を追ってきたんだ。だが、カスは次第に気弱になってきた。「俺はそばにいられないかもしれないから、よく聞いておけ」なんて言うこともあった。俺を矯正するための脅しとばかり思っていた。いつも俺の自覚をうながすようなことばかり言ってたからな。
カスはオールバニイの病院に入院したが、ジミー・ジェイコブズがニューヨーク市内のマウント・サイナイ病院に転院させた。俺はスティーヴ・ロットと見舞いに行った。カスはベッドに座ってアイスクリームを食べていた。三人で少し話をしたあと、カスがスティーヴに、俺と二人きりにさせて欲しいと頼んだ。
嫌な予感がした。カスは、自分は肺炎でもう長くはもたないと言った。そう言われても信じられなかった。そんな重病人には見えなかったからだ。たしかに顔色は悪かった。しかし、まだまだ元気も熱意も感じられた。目の前でアイスクリームも食べているじゃないか。カスは冷静だったが、俺はパニックに陥り始めた。
「あんたなしで、こんな苦しいことには耐えられない」俺は涙をこらえながら言った。「そんなこと、できっこない」
「おいおい、真面目に戦わなかったら、化けて出て、お前に一生に取り憑いてやるからな」
カスには珍しいジョークだった。彼の病状は本物だと悟った。
「わかったよ……」
やっとの思いでそれだけ口にすると、カスは俺の手を強く握り締めてきた。
「世界がお前を待っているぞ、マイク! お前は世界チャンピオンになる。いちばん強い男に」
カスの目から涙があふれてきた。彼が泣くのを初めて見た。俺が世界ヘビー級チャンピオンになるのを見届けられないのが、彼にとってどれだけ悔しいことか。だが、彼の涙は俺だけのものじゃなかった。カスはカミールのことも気に病んでいた。彼には俺よりずっと大事なパートナーがもう一人いることを、すっかり忘れていた。税金の問題があって、カスはカミールとは結婚していなかった。彼はそのことをとても後悔していると語った。
「マイク、ひとつだけ頼みがある」彼は言った。「カミールの面倒を見てやってくれ」
俺はただうなずいて、手を握り返すことしかできなかった。
翌日、俺は前の何試合かで入ったファイトマネー12万ドルの小切手をジミー・ジェイコブズに預けに行った。銀行に入る直前、ジミーが立ち止まった。
「カスは今晩、持ちこたえられないだろう。あと数時間の命だそうだ」
この世の終わりが来たみたいに、俺は泣きだした。実際、俺の世界は終わったも同然だった。銀行の女の子たちがびっくりして俺を見つめていた。
「どうしました?」店長が近寄ってきた。
「私たちの大切な知人が危篤と知って、マイクはショックを受けているんです」と、ジミーは言った。ジミーは冷静だった。みごとなまでに感情を見せなかった。俺がカスにそうなるよう仕込まれたみたいに。いっぽう俺ときたら、任務中に将軍を失って敵地に放り出された兵士みたいに、ただおいおい泣くだけだった。
***
1985年11月7日、カス・ダマトの葬儀。(左から)ジミー・ジェイコブス、ケヴィン・ルーニー、トム・パティ、タイソン、ジェイ・ブライト、ホセ・トーレス、ダマトの親戚、フロイド・パターソン (Photo:(c)Lori Grinker/Contact Press Images)カスの葬儀は北部で執り行われた。俺は棺のそばに付き添った。ボクシング界の関係者がこぞって参列した。おかしくなりそうな頭の中で考えていたのは、彼のために成功することだけだった。カスの遺産の正しさを証明するためなら、どんなことでもしただろう。カミールは落ち着きはらって見えたが、家に帰ると二人して号泣した。
葬儀からすぐ、ジミー・ジェイコブズがニューヨーク市にある〈グラマシー・ジム〉というカスの昔のジムで、追悼式を企画した。有名人がこぞってやってきた。ノーマン・メイラーは、カスがボクシングの世界に与えた影響はヘミングウェイがアメリカの若い作家たちに与えた影響に勝るとも劣らない、と述べた。ゲイ・タリーズは、カスと知り合えたことを誇りに思うと語った。
「彼から多くのことを学びました。ボクシングのことばかりでなく、生き方や人生についても」と、ピート・ハミルは言った。
ジミー・ジェイコブズが語ったカスの人物評は、じつに的を射ていた。「カス・ダマトはボクシング界の無知や腐敗と真っ向から対決した。敵には屈しなかったが、友人には理解があって、情け深く、信じられないくらい寛容でした」
カスの死後、俺は心を閉ざした。さぞ扱いにくい人間だったろう。意味もなく自分を誇示するようになった。俺は子どもじゃない、大人の男だと。カスの葬儀から一週間後、エディ・リチャードソンと戦うためテキサス州に飛んだ。ジミーとケイトンは喪に服すことさえ許してくれない。だから、カスの写真を携行した。カスと話すという毎晩の儀式はまだ続けていた。
「明日、このリチャードソンってやつと戦うんだ、カス」俺は言った。「どうしたらいいと思う?」
体こそちゃんと動いていたが、気落ちしていたし、自信も失っていた。じつを言うと、今でもカスの死を乗り越えられたとは思っていない。腹も立てていた。もうちょっと早く医者に行っていれば、死なずに俺を守れたかもしれないんだ。なのにカスは我を通し、治療を受けずに死んで、ボクシング界の獣たちのあいだに俺を一人で置き去りにした。
カスの死後はもう、何もかもがどうでもよくなった。戦ったのは、たんにカネのためだ。夢なんてなかった。タイトルを獲ることよりも、ただワインを飲んで、騒いで、我を忘れたかった。 (『真相』130~133ページより)