【最高のママ】 | ”ミ”スターAkiraの救急救命室

”ミ”スターAkiraの救急救命室

2012年初頭、“クモ膜下出血&”脳梗塞“で倒れながらも、何とか独り暮らしが出来るまでに。
この間、お世話になった病院や施設、自主トレ用に用意した用具やアイテム、「障碍者でも利用できる施設&レストラン」をDateランダムに記録した個人奮闘日記。

【最高のママ】

大切なパートナーが、突然の他界。

父と幼い娘と息子の新しい生活。...

パパを守りたい!

小さな子ども達の大きな力に感動します。

↓ ↓

妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。

妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、

私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。

寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、

実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた

2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。

“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、

園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。

こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

「まぁ、行くよ♪」 

娘だった。

息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。

一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。

隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、

正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。

そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、

「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」

「本当はパパだってとってもさみしいの、」

「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」

「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」

「だから、だいじょうぶだよね?」

「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」


そう言っていたのよ。

何ということだ。

娘が私の代わりにこの家を守ろうとしている。

場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。

来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。

支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。

私にとっても、正樹にとっても。

ありがとう。