【 心からありがとう 】 | ”ミ”スターAkiraの救急救命室

”ミ”スターAkiraの救急救命室

2012年初頭、“クモ膜下出血&”脳梗塞“で倒れながらも、何とか独り暮らしが出来るまでに。
この間、お世話になった病院や施設、自主トレ用に用意した用具やアイテム、「障碍者でも利用できる施設&レストラン」をDateランダムに記録した個人奮闘日記。

【 心からありがとう 】
 
 
小児ガンだった
娘の話をしますね。
 
 
娘は平成10年3月31日、
光の世界に帰りました。
 
 
最後の3か月は
実は病院ではなく、
自宅で過ごしました。
 
 
その時の
私たちは必死でした。
 
 
何とかして病気を治して、
もとの元気な娘になって
欲しかったんです。
 
 
病気を治す色んな
機械も購入して
使いました。
 
 
その他多くの
ことをやりました。
 
 
でも今から思えば
もっと一緒に
楽しんであげれば
良かったと思います。
 
 
日に日に痩せ衰え、
痛みに苦しむ娘を
私たち夫婦は精一杯
看病しました。
 
 
自分では歩くことも
できない娘をおんぶして
お風呂にそのまま
入ったとき、
 
 
痛みが少し和らいだ
娘の顔はとても
幸せそうでした。
 
 
支えている
私も泣きながら
お風呂に浸かって
いました。
 
 
いてくれる
だけで嬉しい。
 
 
生きていてくれる
だけでありがたい。
 
 
夜は私と主人の間に
娘が寝るのですが、
 
 
30分ごとに訪れる
痛みを和らげるために
私たちは娘の体の
位置を変えて
さすってやりました。
 
 
正直言ってとても
辛かったです。
 
 
でも・・・でも・・・・
いてくれるだけでいい・・・
娘がいなくなることが
怖かったんでしょうね・・・
 
 
辛い痛みの中でも
出来るだけ私たちに
笑顔を見せようとして
いた子でした。
 
 
「お母さん、ごめんね」
 
 
「もっと元気だったら
 お父さんとお母さんも
 疲れないのにね」
 
 
「お母さん、
 私もっと生きたいよ」
 
 
痛みが出ると
治療器でその痛みを
和らげてあげました。
 
 
もうこれはいけないなと思い、
病院へ連れて行く車中で
意識があまり定かでない
娘がこう言うんです。
 
 
「お父さん、
 お母さん
 信じ合って、
 支え合って、
 分かりあって
 生きてゆくんだよ」
 
 
「悲しいときや
 苦しいときほど
 笑うんだよ」
 
 
などと強い口調で
私たちに言うのです。
 
 
病院での最期のとき、
たんが気道を満たして
声にならない声で言った
最期の言葉が・・・
 
 
「ありがとう」
 
 なんです。
 
 
それまで
全身の痛みで抱くことは
できなかったのですが、
 
 
最期は私の腕の中で
静かに息を引き取りました。
 
 
私たちは
「ありがとう」を
言うために生まれて
きたのかもしれない。
 
 
娘の短い人生の中から
気付かせてもらいました。
 
 
あなたとの出会いに
心からありがとう。