「ありのまま」の自分と「なりきる」自分 | あちこちダンス。

「ありのまま」の自分と「なりきる」自分


前回の投稿では、何故「踊るのか」という、そもそもの動機的な側面から掘り下げましたが、

今回は、そもそもダンスの魅力ってなんなの?というところから話を広げていきたいと思います。


「ダンスの魅力」として思いつくものは

・ただ単に音楽に乗る気持ちよさ。

・運動することによる気晴らし、身体能力の向上。

・演じることの楽しさ。

・違う文化に触れられる。ダンスに関する知識が身につく。

・友達とのコミュニケーション。

・人格形成。決められたことをやり通す、継続するということでの成長。

・ダンスを取り巻くイメージ(オシャレ、カッコいい など)の没入感。違う自分になれる。


このような感じでしょうか。他に何か考えつきますか?



今日はその中でも「演じる」というポイントについて更に掘り下げたいと思います。



ダンスは「表現」なのですが、
「自分の体一つを使った身体芸術」という意味で、その中にスポーツ的側面と芸術的側面を内在しています。


そしてよく疑問に思うのが、
「なりきりなさい」「ありのままの自分でいいんだよ」という、この2つの対照的な見方。


「なりきる」自分と「ありのままの」自分。


一変に同じタイミングで先生から言われたら、なんか混乱しちゃいそうですよね。

先生の踊り方よく見て〜、イケてるメンズって感じになりきって〜、自分をありのままに表現するんだよー。


って、どれやねん!って感じですよね。



「なりきる」ためには、演技力、アクティング、振付のオーダーに合わせ自分をキャラクタライズすることが必要になります。


「ありのままの自分」を表現するためには、感じたままを伝える協力な個性、即興力が必要となります。また、自分に対する理解力も大切かもしれません。


個性を出しながら何かになりきり、演技をしながら即興する。


この、一見相反していそうなものをひと繋ぎにするものそれが、



「センス」



だと思います。


このセンスというものが、それぞれバラバラのものを調合し、身体からひとつの表現の答えを生み出す。


もしかしたら、この「センス」というものは、ダンスとは全く別のところからやってくるかもしれません。

昨日見た映画、いつも友達とやってる遊びや、知っている知識、文化に対する理解、はたまた体の可動域や柔軟性、その日のコンディションにもよるかもしれません。

それら一見関係ない全ての背景が、その一瞬に表される。


ダンスは人生の「鏡」なのです。



海外のダンサーのレッスンで、よく

「make sence?」という言葉を「わかった?」と問いかける時に使うのですが、


直訳すると「センスを作る」

日本語で言うと、「できる?」「やれる?」

ということですが、

日本語の受け取り方だと、少し受け取り方がざっくりしてしまいそう。


先ほどの命題に対して、


「自分なりのセンスで、答えを導けますか?」


という意味で捉えれば、表現を導く上でセンスを磨くということの重要性がわかるし、私はこの「make sence」という言葉からうけるインスピレーションを、常に大切にしています。


演じる魅力、それは、自分の感性を導き出す、っいうことなのかと、思ったりもしますね。


「ありのままの表現」と「なりきる表現」
どちらが正解なのか。

ダンスは「芸術」なのか「スポーツ」なのか。


答えは、どちらも正解です。

ダンスは多元的です。多様な考え方が大切です。


多様な考え。。ミーハーってこと?




それを裏付けるのもまた、


「センス」


という言葉だと思います。