アニメ「平家物語」9話解説
アニメ「平家物語」の9話が放送されました。
冒頭、8話の最後で静御前ら白拍子たちに助けられたびわは、しばらく行動を共にすることにします。
このアニメ始まって以来のサービスシーンである白拍子たちの水遊びもありました。
1.都落ちした平家は
都落ちした平家は、福原経由で瀬戸内海を渡って大宰府に着きました。しかし、ここで大軍を味方につけて反撃に出るという平家の思惑は外れました。重盛の家来であった九州武士の中心の緒方惟栄が院宣(後白河法皇の命令)を受け、朝廷に逆らいたくない意向を示し、平家とも戦いたくないため、大宰府から立ち去るように告げました。平家は緒方邸を攻めますが勝てないと察して箱崎(福岡市東区)まで歩いて行きます。安徳天皇の生母である徳子ですら自分の足で歩くしかなく、如何に平家に付き従う人が少ないかがわかります。
ここから瀬戸内海に向かい、柳ヶ浦(大分県宇佐市)に着いた頃、先の棟梁である重盛の三男、清経(CV:花江夏樹)が入水自殺をしました。かつて重盛邸で一緒に育ったびわは涙します。
この後、瀬戸内海を渡り屋島(香川県高松市)に拠点を置きます。
2.新天皇即位
どうやら都落ち後の京の様子はダイジェストでしかやらないらしく、アニメでは詳しく描かれなかったので、こちらで新天皇即位の経緯を説明します。
平家が三種の神器と共に安徳天皇を連れて西国へ行ったため、天皇が都に不在という状況になり、これを打開することが義仲政権の課題でした。これを解決するためには、安徳天皇の帰京を待つか、神器のないまま新天皇が即位するかのどちらかしかありません。
様々な過程はありましたが、結局、神器のないまま新天皇が即位することで決まりました。後白河法皇や貴族たちは、高倉天皇の遺児(安徳天皇の弟)の中から新天皇を選ぶ考えでしたが、義仲がこれに反対し、義仲は以仁王(最初に平家打倒の旗を掲げた後白河の息子)の息子の北陸宮(安徳天皇の従兄)を推挙しました。後白河や貴族にとっては、既に皇統は高倉系に移っており、高倉の遺児が残っている中で別の皇統に移ることに違和感がありました。また、そもそもとして、地方の武士にすぎない義仲が皇位継承という朝廷の最重要事項に口を挟むこと自体が気に食わないものでした。
結局新天皇に選ばれたのは高倉天皇の第4皇子の尊成親王で、即位して後鳥羽天皇になりました。こうして、都には後鳥羽天皇、平家の元には安徳天皇と、2人の天皇が同時に存在する時代になりました。2人の天皇が同時に存在するのは日本史上初めてのことであり、後の時代を含めても、この時代と南北朝時代だけになります。
後鳥羽天皇はこのとき数え4歳でしたが、後の時代には上皇となって鎌倉幕府と対峙する承久の乱の首謀者となります。
この皇位継承問題が大きなきっかけとなり、後白河と義仲は対立することになります。
3.義仲滅亡
義仲の滅亡もダイジェストだったので、こちらで解説します。
後白河は義仲には西国で平家討伐をすることを命じました。後白河としては邪魔な義仲を都から追い出したい思惑があり、義仲としては都の風習に馴染めず数々の失態を起こしているため、名誉を回復させたい思惑がありました。
義仲軍と平家軍が再び戦いますが、知盛の活躍もあり、水島の戦い(岡山県倉敷市)で平家は義仲軍を破り、盛り返します。この後両軍は膠着状態となります。
後白河は義仲を見限り、困窮する京の人々を救うために、頼朝に物資の供給と治安維持を求めました。ただし、頼朝自身は東国運営を優先するために上洛せず、弟の範頼・義経を派遣することになります。
義仲としては、後白河が自身ではなく頼朝を頼ったことに激怒し、平家との戦いを切り上げて帰京。範頼・義経軍が京に迫っていたことから、義仲は義経軍と戦うことを決意。義仲は後白河が住んでいた法住寺を襲い、後白河はまたしても幽閉されました。こうして完全に政権を掌握した義仲は、官軍という体裁を整え、範頼・義経軍を迎え撃つことになりました。朝廷の命令なら兵たちは付き従うと読んでいたのでしょうが、こうした義仲の横暴は結果として逆効果となり、義仲に付き従う武士は少なく、宇治川の戦い(京都府宇治市)で大敗を決しました。側近の今井兼平ら数十騎と共に自身の勢力下である北陸に逃げる予定でしたが、途中の粟津(滋賀県大津市)で馬が田んぼに落ちて動けなくなったところを討ち取られ、主君を失った兼平も自害し、兼平の兄の兼光らも捕らえられ、処刑されます。
義仲が上洛してからわずか8カ月後のことであり、義仲の天下はわずか8カ月で終わりました。
この当時、貴族社会には様々な風習があり、京生まれの清盛や頼朝は貴族社会の中でもうまくやっていけましたが、信濃の山から出てきた義仲は貴族の風習に馴染めずに孤立してしまったことが義仲滅亡の最大の原因かと思います。
義仲最期の地の近くには、兼平の姉妹で義仲の妾である巴御前が日々供養に訪れることになります。その後、義仲寺(ぎちゅうじ)が建てられ、そこには義仲や巴の墓が建てられました。(江戸時代には義仲のファンだった松尾芭蕉の墓も建てられ、今も隣にあります)
義仲寺(滋賀県大津市)にある義仲の墓↓
義仲の首がさらされた法観寺↓
4.敦盛の最期
9話では一の谷の戦い(神戸市)まで一気に描かれることになりました。一の谷の戦いは水島の戦いから4か月後で、この間に義仲と義経の戦いがあったことから、チャンスとばかりに平家は勢力を立て直し、福原まで拠点を戻します。しかし、一の谷の戦いで大敗し、平家は再び敗走することになります。
敦盛は船に乗ろうと海にいたところ、熊谷直実に見つかりました。敦盛は死を覚悟し、自分の首を取るように言います、しかし、直実はこの戦いで息子の直家が大怪我をしていることに心を強く痛め、息子と同じくらいの年齢の敦盛を討つことをためらいます。そのとき、直実の背後には別の義経軍の武士たちがおり、直実が討たなくても敦盛は助からないと考え、泣く泣く敦盛の首を斬ります。
敦盛はわずか数え16歳でこの世を去りました。
後の時代で織田信長が惚れるほどの立派な武人でした。
5.琵琶法師の誕生
びわは丹後(現在の京都府北部)で生き別れの母と再会しました。
母はびわの本名を「あさぎ」であると伝えましたが、びわは「あさぎ」という名前を捨て、平家のことを語り継ぐという自分の役割を見つけました。
琵琶法師の誕生です。
さて、一の谷の戦いまできましたね。
大宰府を追い出され窮地に陥った平家でしたが、義仲の失敗もあったことで一時的に盛り返しました。しかし、義仲を討った勢いで義経に攻められ、再び苦しくなります。ただ、頼朝が後白河から受けた命令は「安徳天皇と三種の神器の奪還」であり、平家の滅亡ではありません。
一の谷の戦いで多くの戦力を失ったものの、安徳天皇と三種の神器を守り抜いたことにより、まだまだ戦いは続きます。
平家滅亡まであと1年


























