アニメ「平家物語」の記事第3弾です。

ブログジャンルを「アニメ・マンガレビュー」にしているので、アニメの記事を書けとアメブロ運営さんに怒られそうな気もしますが、アニメ「平家物語」の関連事項なので許して下さい。

 

過去の記事はこちらへ↓

時代背景考察①

 

 
 

 

アニメ「平家物語」の重要人物に後白河上皇・法皇(CV:千葉繁)が登場します。

 

今回は、上皇と院政について書きます。

 

1.上皇について

まず、上皇とは、太上天皇の略称であり、譲位(引退)した天皇のことを指します。そして、上皇が出家すると法皇と呼ばれるようになります。上皇や法皇は院と呼ばれることもあります。上皇はこの時代に初めて登場したわけではなく、最初の上皇は飛鳥時代の皇極天皇です。皇極天皇より前は、天皇は死なない限り天皇を続けていましたので、上皇はいません。ただし、皇極天皇の譲位は大化の改新期という変革期であり、この時代は異例中の異例でしたし、上皇という呼び方もありませんでした。歴史上2人目の上皇は、皇極天皇の孫である持統天皇です。持統天皇というのは、自分の孫である軽皇子(後の文武天皇)に皇位を継がせるために自ら即位した天皇で、孫の成長を以って譲位しました。文武天皇が崩御すると、その息子の首皇子(後の聖武天皇)に継がせるために元明天皇、元正天皇が即位し、首皇子の成長を以って譲位しました。なお、これまでの上皇は全て女性で、男性として初の上皇は、このとき即位した聖武天皇になります。藤原氏の時代になると天皇が若いうちに譲位して上皇になることが一般的になりました。藤原氏としては、天皇の発言力が弱い方が都合が良いため、幼い天皇を望みました。しかし、平安時代中期までは上皇となると趣味に没頭するなど、政治とは無縁の存在になることがほとんどでした。

 

 

2.院政の始まり

最初に院政を敷いたのは後白河上皇の曽祖父の白河上皇ですが、その父である後三条天皇の時代から話は始まります。

後三条天皇は170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇でした。外戚とは、母方の親戚のことを指します。後三条天皇は兄の後冷泉天皇の皇太子として25年暮らしていましたが、その間に藤原氏を外戚とする皇子が生まれたら廃太子される見込みでした。しかし、藤原道長、頼道の時代に全盛期を迎えた藤原氏でしたが、後冷泉天皇の時代には、遂に藤原氏を外戚とした皇子が生まれることはありませんでした。皇子が生まれることなく後冷泉天皇が崩御(天皇や上皇などが亡くなること)し、後三条天皇が即位すると、長年自分を冷遇した藤原氏への反撃とばかりに延久の荘園整理令が出され、藤原氏の経済的基盤であった荘園が解体され、藤原氏の力は一気に衰えます。また、天皇が藤原氏よりも上位にあるということを世の中に見せつける形になりました。後三条天皇は藤原氏を弱体化させる画期的な政策を実施したものの、当時としては高齢の30代で即位したため、治世は長く続かず、病気となって息子に譲位します。

このとき即位したのが白河天皇です。白河天皇は自ら政務を執り(新政)、藤原氏とも協力関係でしたが、息子の堀河天皇に譲位し、幼い息子に代わって政務を取り仕切ることになります。これが院政の始まりです。堀河天皇が父に先立って崩御してその息子の鳥羽天皇が即位するころには上皇に権力が集中します。天皇の母方である外戚が権力を握っていた時代から、天皇の父方である上皇が権力を握る時代に代わります。事実かどうかはわかりませんが、白河上皇は48歳年下の藤原璋子と通じて妊娠させると、孫の鳥羽天皇と結婚させて鳥羽天皇の子供として産ませたという話もあります。そのときに生まれたのが後の崇徳天皇です。事実だとしたらとんだロリコンじじいです。この話が一概に否定できないほど、強大な権力を持っていたということです。「加茂川の水、賽の目、山法師だけは思い通りにならない」という旨の発言をしており、それ以外は思い通りになった旨が伝わります。

 

 

3.院政ができる条件

上皇になれば必ず院政を敷けるわけではありません。同時期に上皇が複数人いることもありますが、院政を敷くことができるのは1人だけです。

院政を敷くには条件があります。院政を敷くことができるのは、天皇家の家長だけです。白河上皇(法皇)は、堀河天皇(息子)、鳥羽天皇(孫)、崇徳天皇(ひ孫?息子?)の時期に院政を敷いています。いずれも直系卑属です。後三条天皇が崩御した後、天皇家の家長は白河天皇になり、皇位を譲った後も家長は変わらず白河上皇だったのです。ですから、崇徳天皇が即位したとき、既に崩御していた堀河天皇はもちろんとして、譲位したばかりの鳥羽上皇は院政を敷くことができません。天皇家の家長ではありませんからね。白河上皇が崩御することによって天皇家の家長が鳥羽上皇に代わり、鳥羽上皇が院政を敷くことになります。つまり、天皇の父方の直系尊属で、年長の人が院政を敷くことになります。上皇であっても天皇の兄弟やいとこ、おじなどは直系尊属ではないので院政を敷くことはできません。

 

 

4.鳥羽院政と保元の乱

白河法皇が崩御すると、鳥羽上皇が院政を継ぎます。鳥羽上皇は関係の悪かった崇徳天皇を譲位させ、弟の近衛天皇を即位させます。近衛天皇が若くして崩御するとその兄を即位させます。このとき即位したのが後白河天皇です。後白河天皇の息子の守仁親王(後の二条天皇)が皇太子になることで、皇統が後白河天皇の子孫に移ることが確実となり、崇徳上皇が院政を敷く可能性はなくなりました。後白河天皇の兄である崇徳上皇は天皇家の家長、天皇の直系尊属になることはないからです。まもなく鳥羽上皇が崩御したのを機に、崇徳上皇は自分の息子に皇位を継がせるために保元の乱を起こしました。そうしなければ崇徳上皇が院政を敷くことができないからです。結果として崇徳上皇は敗れて讃岐に流され、権力とは完全に無関係になります。

 

 

5.後白河院制期

アニメ「平家物語」は全編、後白河院制期に当たります。

後白河天皇は息子の二条天皇に譲位すると、二条天皇の息子の六条天皇、二条天皇の弟の高倉天皇、高倉天皇の息子の安徳天皇、安徳天皇の弟の後鳥羽天皇の5代にわたって院政を敷きます。ただし、元々後白河は中継ぎになる予定でしたので、息子の二条天皇との対立もありました。また二条天皇崩御後も、この時代は平清盛やその後台頭する木曽(源)義仲、源頼朝などの影響もあり、白河上皇のように何でも思い通りになったわけではありません。天皇家の家長として権力を握ってはいましたが、息子や家族(藤原氏)、武士との協調や対立を繰り返しながら政権運営をしていました。幽閉されて院政停止ということが何回かあります。おそらく、今後のアニメ「平家物語」でそのような描写が出てくると思います。

 

 

6.その後の上皇と院政

後白河以後の院政で有名なのは承久の乱を起こした後鳥羽上皇ですが、それ以後も江戸時代の後期に至るまで上皇は登場しており、朝廷の事実上のトップとして院政も行われています。ただし、世は完全に武士の時代であり、朝廷は権威こそあるものの強大な権力を持ち合わせていませんでした。幕末から昭和までは天皇は再び死ぬまで天皇を続けるという時代になったため、上皇は生まれませんでした。上皇が再登場するのは2019年5月1日で、平成期の天皇(明仁)が現在の天皇(徳仁)に譲位し、上皇と呼ばれるようになります。ただし、現在の上皇は正式な敬称が上皇であり、かつての太上天皇の略称である上皇とは異なります。当然、院政は行われていません。なお、〇〇天皇という敬称は諡であり、死後に決まります。よって、存命である現在の上皇や天皇には〇〇天皇という敬称はありません。

 

 

今回は天皇や上皇、院政について書きましたが、理解を深めて下されば幸いです。

時代背景を理解してからアニメを視聴することによって、ますますアニメを楽しく視聴できると考えています。

先日、友人に誘われてリアル脱出ゲーム×魔法少女まどかマギカ「ワルプルギスの夜からの脱出」に行ってきました。
まだゲーム実施期間内ですので、ネタバレなしの記事となります
 
全国7か所で楽しめますが、私は東京の原宿会場に行きました。

 

公式ホームページ↓

 

脱出ゲーム自体ほぼ初めてだったのですが、元々謎解きが好きなのでなんとかなりました。

結果的にあと一歩というところまで行きましたが、最後の最後で閃きが足りずにバッドエンドを迎えてしまいました。

しかし、答えを知ったら納得しかなく、謎の完成度の高さに驚きました。考えた人は天才ですね。

 

ゲームの進行も、アニメやゲームのイラストが出て、声優の新規撮りおろしボイスも収録されており、世界観に引き込まれるような素晴らしい演出でした。また、進行には役者の演技も入り、役者のお姉さんが可愛すぎて謎解きに集中できないこともありました。ゲーム終了後にお姉さんと写真撮ってもらいました。(Web上へのアップは禁止のため、載せられません)

 

 

ゲーム終了後は渋谷のショーグンバーガーにてコラボハンバーガーをいただきました。

 

マギレコではフェリシア推しですが、本家では特に推しもいないので、他の友人と被らないように、また、単に食べたいものを選ぶために杏子のあんこバーガーを選びました。クリアファイルも杏子でした。

 
あんこが使われた甘いハンバーガーでした。ハンバーガーを食べて甘いと感じたのは初めてですね。残したら杏子に怒られるのでしっかり完食しました。
 
ほぼ初めての脱出ゲームでしたが、完成度の高い謎に大満足でした。
謎解きとまどかマギカが好きな人にはオススメしたい作品です。
 
これからも、好きな作品とコラボしていたらやってみようかなと思いました。
 
 

平家物語の2話が放送されました。

 

2話は平家の女性たちを中心とした話になっていました。

今回は、平家の女性たちと、平徳子が嫁いだ高倉天皇などについて解説します。

 

 

1.平盛子について

序盤に、11歳の未亡人である平盛子の話が出てきます。

盛子は平清盛の娘で、母親は判明していません。保元元年(1156年)生まれで、1164年に数え9歳で22歳の近衛(藤原)基実に正室として嫁ぎます。清盛が藤原摂関家との関係を作るためです。基実は藤原氏のトップである藤氏長者で、二条天皇の関白でした。基実は藤原道長の孫の孫の孫です。基実は結婚から約1年後に二条天皇が崩御すると生後わずか7か月の六条天皇が即位し、六条天皇の摂政になります。しかし、その1年後に病気で亡くなってしまいます。こうして盛子はわずか11歳で未亡人になります。盛子に実子はいませんが、基実と側室との子供を養子にして、摂関家である近衛家の実質的なトップとして君臨することになりました。

 

 

2.この時代の藤原氏は

盛子に関連して、この時代の藤原氏について解説します。

保元の乱で失脚した藤原氏ですが、その後も摂政、関白を独占していきます。そもそも、関白というのは藤原氏のために作られた役職です。ただし、かつてのように摂政や関白が絶大な力を持つというわけではなく、形式的な存在になることも多かったです。また、藤原氏と言っても数が多いので、次第に藤原とは呼ばれず、邸宅の所在地である九条や近衛、松殿などと呼ばれるようになります。松殿家は2代で断絶しますが、九条家と近衛家はその後、九条家から分かれた一条家、二条家、近衛家から分かれた鷹司家と共に五摂家と呼ばれ、摂政、関白は五摂家から選ばれることになります。摂家は江戸時代末期まで続き、明治以降は公爵として太平洋戦争終戦まで政界に影響力を与えます。

 

 

3.平徳子について

平徳子(CV:早見沙織)が2話の中心人物でした。

 

徳子は清盛の正室(後妻)である平時子(この時代は夫婦同姓ではありません。時子は結婚前から平です。)の娘です。盛子の1つ年上の姉に当たりますが、同母姉妹か異母姉妹かはわかりません。重盛の異母妹です。1172年、数え18歳で、6つ年下の高倉天皇に嫁ぎます。アニメ2話では高倉天皇に嫁いだ話でした。今後の徳子や高倉天皇の様子は、3話以降でも描かれると思います。今風に言うとおねショタです。おねショタ好きなので、時子と高倉天皇の関係を次回以降でもう少し掘り下げて欲しいですね。

 

 

4.高倉天皇(憲仁)について

高倉天皇(CV:西山宏太朗)の名は憲仁で、作中でも親からはそう呼ばれています。

 

なお、高倉天皇という呼び方は死後に決まるので、この時代、高倉天皇と呼ぶ人はいません。家族以外からは、単に天皇と呼ばれるか、主上、帝などと呼ばれます。

高倉天皇の母は平滋子で、滋子は平時子の妹、つまり、清盛の義妹に当たり、高倉天皇は清盛の義理の甥にあたります。1168年、数え8歳の時に甥の四条天皇(後白河の孫)から譲位されて天皇に即位します。高倉天皇は幼少であることに加えて父の後白河、義理の伯父の清盛などの実力者がいることもあり、天皇とは名ばかりで、権力を持っていませんでした。アニメ2話でも後白河の息子としてしか考えられていない描写が読み取れます。

12歳のときに平徳子を中宮(正妻)として迎えますが、徳子は清盛の娘なので、いとこ同士での結婚になります。

 

 

5.賽の目、鴨川の水、山法師について

2話では、後白河天皇が双六をしている描写があります。

 

これは、当時流行った遊びで、盤双六と言います。さいころをふって出た目に従って自分の駒を進め、相手より先に自分の駒を全てゴールさせれば勝ちというゲームです。現在のバックギャモンと起源は同じで、ルールが酷似しています。

後白河天皇の曽祖父である白河天皇が、「賀茂川(鴨川)の水、双六の賽、山法師だけは思い通りにならない」と言っており、2話では後白河も同様に発言をしています。鴨川は当時氾濫が多かったでそうです。賽の目は運なので思い通りにならないことは当然です。山法師というのは比叡山の僧のことです。この時代、山と言えば比叡山で、日本一有名な山は富士山ではなく比叡山でした。この時代の僧は武装しており、比叡山延暦寺は特に強大な力を持っていました。

 

 

さて、2話では徳子の入内(天皇家に嫁入り)の話でしたから、西暦で言うと1172年の話です。1185年に平家が滅亡しますから、平家滅亡まで残り13年となります。

 

 

平家滅亡まであと13年

 

 

平家物語の記事の2回目です。

 

第1弾はこちらへ↓

 

 

 

今回から具体的に踏み込んでみようと思います。

歴史に詳しくない人向けに時代背景を説明します。

 

1.平氏と源氏の成り立ち

平氏の成り立ちは、第50代桓武天皇(737~806年)まで遡ります。

桓武天皇には多くの子供がおり、判明しているだけでも数十人はいたとされています。

桓武天皇は平城、嵯峨、淳和天皇という3人の息子が順に天皇に即位しますが、その後は嵯峨天皇の子孫が皇位を継承します。そうすると、皇位を継承しなかった皇子やその子孫たちは、時代が進むにつれて、その時代の天皇との血縁が遠くなってしまいます。そうして、平や源といった氏をもらって皇籍から外れる元皇族が現れるようになります(天皇家には氏はありません)。これが平氏や源氏の始まりです。これは桓武天皇に限ったことでなく、次の時代の嵯峨天皇やその次の仁明天皇などでも同様のことがおき、この流れは江戸時代初期まで続きました。

平清盛の先祖である高望王は桓武天皇の孫(ひ孫説も有り)で、平高望という名前になりました。

父の父の父の父の…と遡って最初に登場する天皇が桓武天皇になりますから、桓武平氏と呼ばれます。源頼朝の場合は遡って最初に登場する天皇が清和天皇ですから清和源氏と呼ばれますが、清和天皇は桓武天皇の孫の孫ですから、どちらにしても桓武天皇の子孫です。

平清盛が桓武平氏、源頼朝が清和源氏なので、平氏=桓武平氏、源氏=清和源氏と思っている人もいますが、平氏や源氏は桓武平氏と清和源氏だけでなく、仁明平氏や醍醐源氏など、様々います。

 

 

2.荘園制度と武士の成り立ち

743年に墾田永年私財法ができると、新しく開墾した土地は私有財産となります。この時代、土地は富の象徴ですから、人々は土地を求めて開墾します。こうして作られた土地を荘園と言います。しかし、この時代は今のように警察がいるわけでもなく、盗まれようが荒らされようが自己責任の時代です。自分の土地は自分で守らなければなりません。特に、地方の役人である国司に奪われてしまうというケースが多かったようです。そこで、荘園の持ち主は、国司に取られないようにするために、国司の上司である中央の役人と交渉します。中央の役人もただで守ってあげる義理はないので、荘園で収穫された作物の一部を引き渡すことを条件として守ってあげることを約束します。これを寄進と言います。こうして、荘園の持ち主は収穫物の一部を条件に、中央の役人の後ろ盾を得ます。中央の役人の中でも、より強大な権力を持つ人たちの元に多くの寄進が集まり、強大な権力を持つ役人は莫大な利益を得ることになります。平安時代の前中期には藤原氏に寄進が集中しました。

寄進することで後ろ盾を得た荘園の持ち主は安泰かと言うと、そうではありません。自分の領地と寄進した役人が住む京は距離がありますし、賊に襲われて奪われる可能性もあります。ですから、武装して自分の土地は自分で守らなければならなかったのです。これが地方における武士のはじまりです。自分1人では守れませんから、近隣の人と協力して領地を守ることになります。こうして武士団が生まれます。武士団のトップに選ばれたのが、中央から飛ばされてきて、天皇の血を引く名門の家系である源氏や平氏だったのです。

なお、都でも武士が起こっており、都の武士は貴族のボディガードとして雇われていました。地方の武士と都の武士のどちらが先かは判明していません。

 

 

3.武士の地位の向上、平清盛の大出世

2で説明した通り、平安時代中期までの武士というのは、地方で私有地を自己防衛するか、都で貴族のボディガードをするかという存在でしかなく、武士の地位というものは天皇や貴族などと比べてかなり低いものでした。

そうした中、武士の地位が向上する事件となる出来事が発生します。1156年に発生した保元の乱です。

保元の乱は、後白河天皇と、兄とされる崇徳上皇(上皇と院政については次で説明します)の権力争いです。朝廷内の権力争いが武士が参戦する全面戦争となり、結果として後白河天皇側が勝利し、崇徳上皇は讃岐に流刑となります。

この結果、後白河天皇側で大きく活躍した平清盛や源義朝らに高い地位が与えらます。褒美もなく戦うことはありませんからね。それまで権力を握っていた藤原氏は相対的に地位が下落します。

こうして中央の政治に武士が関与するようになります。次第に平清盛と源義朝も関係が悪化し、1159年に平治の乱が発生します。平治の乱で敗れた源義朝は死亡し、息子の頼朝は伊豆へ流刑となります。こうして平治の乱で源氏は壊滅的な打撃を受け、権力の座は平清盛の一人勝ち状態となります。平清盛は自分の身内を次々と天皇家に嫁がせるという藤原氏の手法を真似て、権力を拡大します。平清盛は朝廷のトップである太政大臣にまで上り詰め、彼の息子たちも次々と高い地位を獲得していきます。多くの荘園も平家一門に寄進されるようになります。

こうして栄華を極め、状況がアニメ「平家物語」の第一話に繋がります。

 

 

4.平氏と平家の違い

1でも書いた通り、平氏というのは桓武平氏だけでなく、様々います。

また、同じ桓武平氏でも、平清盛の時代は平高望の時代から100年経過しており、遠縁も多くなっています。

平家というのは、平清盛の家族、近い親戚のことです。平家政権の時代、権力を握っていたのは平清盛とその家族、親戚である平家だけであり、全ての平氏が権力を握っていたわけではありません。平氏であっても平清盛と遠縁であれば権力とは無縁です。現在放送中の大河ドラマの主人公で、後の時代に大きな権力を手にする北条氏も、実は平氏です。しかし、平氏ではあってもこの時代は権力とは無縁で、地方武士の1人にすぎません。

平氏=平という氏の人全員 平家=平清盛一家と考えるとわかりやすいと思います。

平家物語というのは、平氏全体の話ではなく、平清盛とその家族、親戚という狭いグループの話なのです。

 

 

いかがでしょうか。

なんかもうアニメ系ブログではなく歴史系ブログになってしまいましたが、アニメ「平家物語」の時代背景、平家政権の成立過程などの理解が少しでも深まっていれば幸いです。

歴史を学ぶことによって、歴史物のアニメや作品がますます面白くなると確信しています。

 

 

私はアニメファンであると同時に歴史好きでもあるので、アニメ「平家物語」について考えていこうと思います。

歴史に興味ない方も少しでも興味を持って下されば幸いです。

 

 

1.平家物語とは

鎌倉時代中期(13世紀中頃)に成立したと言われる平家の栄華と没落を描いた軍記物語です。

具体的な成立年や作者は不明で、琵琶法師と呼ばれる僧が琵琶を弾きながら語ったことにより広まったとされています。

これまで平家物語のアニメ化はなく、約800年の時を超えて初のアニメ化となります。

 

 

2.琵琶法師とは

琵琶法師は特定の個人を指す言葉ではなく一般名詞で、琵琶を弾きながら語る僧の総称です。

琵琶法師が平家物語の作者であるという説もあり、アニメ「平家物語」ではこの説を採り、後に琵琶法師になるとされる少女びわ(CV:悠木碧)を主人公として、物語が進められます。びわを語り部として話が進められそうです。

平家物語を語ったとされる琵琶法師の素性は全くわかっておらず、謎多き存在です。ですから、幼少期に平家に拾われていたり、実は女性であったりしても、史実との矛盾はありません。

また、びわは平家全盛の1170年代に10歳程度ですから、平家物語が成立したとされる13世紀中頃には生きていても不思議ではない年齢です。

 

 

3.アニメ独自の設定

アニメ「平家物語」では、原作に存在しない設定があります。

びわが未来を透視できる力を持っていたり、平重盛が亡くなった人の霊を見ることができる能力を持っていたりします。これらの能力が今度どのように活きてくるのか楽しみであります。

 

 

今回は初回として、この程度で終わらせようと思います。

次回から本格的に進めます。