小学生の頃くらいから、母は昔告白された人、人数、その人の学歴、振った理由を話してきた。


最初の頃は

「あ、そう」と、母の昔の懐かしい話をしたくて話してるんだろうな程度の受け止め方だったけれど、成長するに連れて、私の男性の交友関係に口を出してきたり、恋愛指南の様な言い方をしてきたりする様になった。

包括センターの芸術の先生に相談すると

「よくあるマママウント」と教えてもらった。  


教えてもらうまでは

「なんか比較されてる?」

「これってライバル視されてるってことでは?」

「なんで私がライバルになるの?」

「なぜ私をライバル視してたんだろう?」

というのと、こういう人も存在する事は知ってはいたけど、自分の中でどう融合させる事に躊躇っていた。


教えてもらってから、背中を押してもらえた感覚になって、少しずつ自分視点を構築、補強を進めてる。


1番辛かったのは

「あんたのはモテてるうちに入らない」

だったかもしれない。


私は自分がモテてると実感できたことがない。

その前に、母には告白されたとか振られたとか、自分から恋愛の話をしたことが無い。

もしかすると

「告白されたことはある?」と尋ねられていたら、その返答はしたかもしれないが、記憶にある様でない。


「モテてるうちに入らない」

モテてたと実感でき、人に自慢できるくらい誇りを持ててる事が羨ましかった。

自分はモテると実感できる母が羨ましくなった。


私の人数が母の人数を上回る。

学歴も超える。

「なぜ満足できないのだろう」

「なぜ喜びより、虚しさで1杯になるのだろう」

嬉しそうに、楽しそうに語る母。

私も同じ様な体験をしているのに、母の様に自分を輝かせて他者に語る事はできない。なんか辛い…

こんな感じだった。


自分が何者か分からない。

自分で自分を定められない。

その原因は、自分にとって重要なエピソードを想起できない、自我同一の為に必要な材料があるのに持てない。

材料を見つけようとすると、材料である記憶を想起させないように思考にストップがかかる。


自分になりたいのに自分になれない。

なろうとすると、親やレイパーだけでなく自分までもが自分を止める。


心がエグれる思い。

心が抉られる感覚。


「何も無い振りをしてる私を好きだと言われる事が辛かった」