スタートラインの0.0000000001°の違いも、生存を続けると、気がつくと、親しい関係と思ってた人と物凄い遠い場所に行き着いてたりする。
これが、私と親族達との距離感。
私はここ数年、この距離感の受け止めに苦慮してきてる。
人生は選択の連続であり、大きな選択、小さな選択にもコインの裏表がある。メリットとデメリットは共存してると発見したのは、何歳の時だったんだろう?
彼らと私の違いは、選択、決断のリスクヘッジをするかしないかの様な気もするし、リスクヘッジをしてても、リスクを負う覚悟を持ててるか持ててないかも違う気がする。
逃避するならするで、そこにもリスクが生じるって事も分からない?人達なんだろな~と。
生き方って大事やなと思う。
生き方は選択できるということを思いついたのは、小学生か中学生くらいだった。
未だに、「思い通りに育たなくてごめん」という申し訳なさがある。これが罪悪感になるのが厄介……
けれど「育ててもらった様に育ったよ」という自信もある。
人を憎まないで済む生き方があるはず。
仮に憎しみが生まれても、それを乗り越える力が人間にはあるはずと信じて生きてきた若かりし頃。
そして今、やっぱり私は強くそう信じてる。
けど、他者にそれを求めるのは違う。
敵とか味方とかじゃない。
人生の応援者というのが私のスタンスだった。
多分今もある。
主治医に言われた。
「支援センター辞めて良かったと思いますよ。だって表情がスッキリされてますもん」
心が震えた。泣きそうになったけど、それより嬉しすぎて興奮して、泣けなかった笑
前回、今回の主治医の共通点は
「自由」を与えてくれる。
自由でいいと言ってくれる。
そして、仮に失敗しても、失敗から何を学び、未来に活かすという動線の会話をしてくれる。
落ち込んでいい。けど、落ち込みすぎるなと。
同情と共感を上手く使い分けれる人なんだと思う。
同情しすぎず、共感もしすぎない。
卒業医学部の偏差値があまり高くない精神科医の方が、人間力が高いように思う。
仕事してた時によく見た光景だ。
偏差値高いからって、技術力高いかって別やからね。
偏差値バカ。
それと、偏差値が低い事を劣等感にしてる人も厄介。多分うちの親はこっちなんよね。
高校の担任の言葉を思い出す。
「いいか。お前らの学力は全国順位で言うたら、勝負にもならん。でも、お前らが目指してる仕事は、合格さえすれば全国1位の学校出てる人間と同じ資格で働く仕事なんやからな。恥じるな。頑張って資格取れ」
その後、私だけ呼び出されて言われた。
「ええか?お前には愛嬌がある。女は愛嬌やて言うやろ?お前、頭は悪いけど、愛嬌で頭の悪さをカバーしていけると思う。頑張れよ」
愛嬌ある自分を自然に出せる人間になれるように頑張ろ。暴露療法。