今日から全国各地で雪の予報ですね!
皆さん通勤には、
くれぐれも気をつけましょうね。
あんずは、家の中でぬくぬくです

11月28日に逝去された
当院理事長(前院長)のお別れ会でした。
私は仕事を途中抜けして
参加させていただきました。
本当に素晴らしい人だったと
娘さん達が作られたDVDを観て、
涙が止まりませんでした。
2008年に悪性リンパ腫を発病され、
見つかった段階でステージ4。
3度の再発を経て、
帰らぬ人となられました。
3度目の再発は2014年9月。
日曜日に患者の急変で病院へ駆けつけ、
患者の部屋へ向かう途中に倒れ、
意識不明の状態となられました。
後に、脳転移していることが確認されました。
自分ががんになって初めて、
先生の気持ちのほんの少しだけ
理解できたような気がしたのと、
治療と課の責任者の両立で苦しんだ時、
「でも理事長は私なんかより
もっと大変な治療を何度もしながら、
院長として理事長として頑張ってるんだから
私はもっと頑張れるはずだ。」と
自分を奮い立たせていました。
自分ががんになって、
家族よりも誰よりも、
理事長にすぐに話してしまい、
心配を、かけてしまったかなぁと
少し反省をしたりもしましたが、
誰より動じることなく
「あら。そやったか。」と微笑んで
ホルモン治療を決意した私を
「自分の決めた道や。信じて進め!」
と力強く背中を押してくれました。
先生の偲ぶ会でいただいたパンフレットに、
2012年に書かれた記事が載っていましたので、
紹介させてください。
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還暦を迎え、感じたこと
〜人生の襷(たすき)〜
(前略)
私が還暦を待ち焦がれたのは、55歳の時に発症した悪性リンパ腫が原因です。組織型、進展の程度、頭蓋内に病巣が及んでいること、右大腿骨の骨髄がすべてリンパ腫に置き換わっているなどで、平均余命は2〜3年と考えました。その中でもう少し頑張って4〜5年と考えました。即ち「還暦まで頑張って生きよう!」と他人から見れば小さな事柄かもしれませんが自分にとっては大きな目標を立てました。4年間の闘病生活は辛く、苦しいものでありながら、よく思い返してみると、時に喜びもあり、楽しみもあり、決して悲壮感が充満しているような状態ではありませんでした。
その闘病期間の私の心境は丁度往年のマラソンランナー、君原健二氏(メキシコ五輪で銀メダル)の言葉の中に見つけることができました。
「走っていては苦しくなる。あの電信柱まで、次の曲がり角まで、と思って頑張ってきました!」また彼は次のようにも言っています。「人生は、よくマラソンに例えられるが、私はむしろ、人生は駅伝である、とかんがえています。前を走ったものから、襷(たすき)を受け継ぎ、次の走者へ繋げていく…。途中で走ることを辞めるわけにはいかない。」
人生において襷は「生命」であり、「夢や希望」であり、襷を渡す相手は家族であったり、友人であったり、時にはライバルであったりするかもしれません。
あんなに辛い経験をしたのに、今となっては、決して2度とこんな経験はしたくない!とは思わないのです。もう一度襷を受け取って、次に伝えたい感情が沸々と湧き上がってくるのです。
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こんな素晴らしい言葉を
私たちに残してくれる人でありながら、
関西人気質の「おもしろ楽しい気質」で
いつもふざけていたのが懐かしいです笑
わが理事長の襷を私は受け取って、
次へ繋げていきたいと思います。
私が襷を渡すのは後輩達ですね。。
私もがんになったことは不幸でありながら、
治療で経験した気持ちの面での辛さ、
身体面での辛さや不調は、
すべて自分の財産だと思っています。
理事長にもう会えないのは
とても寂しいけれど、
先生のような情熱も求心力もないけど、
私なり「栄養士の道」を切り開き
歩いて行きたいと思っています


