私は
11年前に
最愛の母を亡くしました


昔は
それはそれは厳しい母だったのですが


私が高校生になってからは
母娘というより

姉妹のような
親友のような間柄になりました


特に
社会人になってからは

私がお休みの度に
ランチやショッピングなどあちこちに出掛け

色々なことを話せていたので

友達の必要性を感じないほど
母の存在だけで
満たされる毎日でした



そんな存在だった母が

突然病に倒れました




“膵臓がん”


でした


既に手術不可能


すぐに入院となったのですが
母が家に帰りたいと
駄々をこねるので
無理を言って
通院させてもらうことになりました



病名は
母に伏せることになっていたので
すぐに治る病気風に装う為
母に対して
いつも通りに接しました



その頃私は
会社勤めをしていなかったので

仕事が無い時は
母の面倒は私がみました



しかし
そんな日々も短く


また
入院することになりました


病院へは毎日通いましたが
モルヒネで意識朦朧としていたので
あまり長く滞在はせず

他の時間は自分のこともしました


その当時
お付き合いしていた人や友人と会ったり
お出かけもしたりしていました



そのうちに
大部屋から個室に移されました

(もしかして、、、)


そんな思いが頭を過ぎり
夜は私が泊まることにしました


すると

急に母が元気になりました


もう
喋ることもなくなっていたのに

自分で起きて喋れて
電話もかけられるほどになりました



しかし

それに安心してしまい


便の出が悪く
下剤をもらっていた母


その日の朝

母から「飲んだ方が良いかなぁ?」

と、聞かれたので

「気持ち悪いの?」

と、聞くと 「うん」

と、答えたので

「じゃあ、もらったら?」


そう答え飲ませました


すると
午後から
腹痛で苦しみ出しました


そして

苦しみながら
「お父さん呼んで」

と、何度も言う



それにイラッとしてしまい
(※何故イラッとしたのか理由を書くと
あまりにも長くなってしまうので割愛します)


「いい加減にして」


と、怒鳴ってしまいました



その後

落ち着いて眠った頃に
父が迎えに来ました



母に怒鳴ってしまった話を
父にしたら

「疲れてるんだよ」
「今日はもう家で寝なさい」


そう言われ
家に戻り
父とご飯を食べていたら


病院から電話がきました




「容態が急変したのですぐ来てください」



すぐに
父と向かいました



そして
到着してすぐに
母は息を引き取りました




それは

母が膵臓がんだと
判明してから
わずか4ヶ月後のことでした





あまりに突然のこと過ぎて
呆然とした後

最後に怒鳴ったことを
思い返し
自分を責め大泣きしました


それからも

こんなに早くいなくなると分かってたら

もっと一緒に居てあげたかった
もっとこうしてあげたかった
下剤のこともよく考えて答えたらよかった
イラッとしなければよかった
家に戻らなければよかった



4ヶ月間の自分の行動を
心底後悔しました


そして

その自責の念は
長い間
自分を苦しめました







私は
その経験があったので



けっちゃんの要介護が始まった時

“自分の時間は
けっちゃんのことに使おう”

って思いました



仕事も殆どせず
けっちゃんに付きっきりの生活

相方さんにお願いすれば
外食だって行けたし
友人に会ったり
お出かけや飲みにだって行けたと思います


実際

何度かそういう場面があり
相方さんからも

「けっちゃんのこと看てるから行ってきていいよ」


と、言ってもらってました



正直

毎日家に居て
けっちゃんのお世話ばかりしている生活で
息抜きしたい気持ちがあったので
行きたいな、、行こうかな、、

って思いました


ギリギリまで悩み

やっぱり
結局
自分の時間を
自分の息抜きの為じゃなく
けっちゃんとの時間に使いたくて
行きませんでした


週一にする
1週間分の作り置きのお買い物も
急いで行って買って帰ってくるほど
なるべく時間は
けっちゃんとの時間に使いました


テレビを観てても
ちょこちょこ止めて
けっちゃんのことをしたり

ブログ更新は
けっちゃんの寝てる時に

異変があればすぐに病院へ連れて行き

高くても
けっちゃんに必要なモノはすぐに買いました



こうして

時間もお金も労力も

全てと言っていいほど

けっちゃんのことに使いました





“だから”

なのかは
分かりませんが



けっちゃんに最後にかけた言葉は


「ごめんね」


ではなく


「けっちゃん 大好きよ」


でした




そして

けっちゃんのお手入れをしながら


「よく頑張ったね」
「偉かったね」
「お利口さんだったね」



自分を責めることより

けっちゃんを褒める言葉ばかり
たくさん出てきました





母のことを経験していたおかげで

私は
同じ過ちを繰り返さずに済みました




要介護生活が始まってから

どんなに手がかかっても
寝れなくても
何度も起こされても

大声で「ウォンウォン」されても

けっちゃんにイラッとすることも
怒鳴ることも一度もありませんでした



それが
一番良かったと思ったことです




まぁ
その分

相方さんにイラッとし
怒鳴り散らしましたけど。。笑


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【けっちゃん劇場のひとコマ】





部屋干しすると

何故か
必ず
洗濯物の下で寝る
けっちゃん🐕



まぁ
それ、私の洗濯物じゃないから

いっか!

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今日も
明け方目が覚めました


昨日と同じ時間に起きたけど

既に
相方さんはお仕事へ行った後でした



そんなこと

ずーっと当たり前だったのに

遮光カーテンのしまった暗い部屋に
ポツンと1人

そんな時でも
横を向けば必ずけっちゃんが居た




急に押し寄せた喪失感に
しばらく動けずにいましたが


カーテンを開けて
けっちゃんのお水を替えて
ご飯をあげて
お線香をあげて

「けっちゃん、おはよう」

をしてから
ちゃんと朝ご飯を食べました



ブログを書いていたら
曇っていた空が
いつの間にか晴れていたので
慌てて洗濯機を回しました



今日は
どんな1日になるんだろ。。。