中沢新一・絵/牧野千穂「モカシン靴のシンデレラ」感想 | S blog  -えすぶろ-

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「シンデレラ」はシャーマンについて語られたとてつもなく古い神話から派生した民話であり、世界中にその異文が伝わっていると以前この記事に書きました。

中沢新一「人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1)」感想 -驚愕の「シンデレラ論」

この本の中で、カナダ原住インディアンのミクマク族が、フランスから来た入植者たちとの交流の中で「シンデレラ」の話を聞き、それをアレンジして生まれた物語だと、この「モカシン靴のシンデレラ」が紹介されていました。ミクマク族の世界観が確りと伝わってくるとても幻想的で美しい話に感動したので、この絵本版も読んでみることにしました。文と解説は中沢新一、絵は牧野千穂です。

 

このミクマク族版「シンデレラ」が誕生した経緯について、フランスから来た白人から「シンデレラ」を聞いたミクマク族が、自分たちの神話との類似性と相違点に気付きこう考えたのではないかと、中沢は解説文の中で下記のように思い描いています。

「この話はたしかに、われわれの神話とよく似てはいる。しかし、大事なところでこの話は、まちがった道へ入り込んでいる。シンデレラという少女は、いつも灰のそばにいたからこそ、霊の世界に入っていける資格をもったのだし、霊の世界のことがよく見えていたからこそ、幸運をあたえられたんじゃ。ところが白人たちの語るこの話では、彼女は美しい容姿をもち、またそれをひきたてる美しい衣装を身につけていたから、王子の心をつかむことができたということになっておる。また王子も王子で、女の美しさというものを、ただ外見の美しさだけで判断して自分の結婚相手を決めようとしている。まったくあさましい話ではないか。女の美しさは、まずその人のたましいの美しさのうちにこそ見出されるものであり、高貴な王子たるものは、霊の世界にも通じていくそのたましいの気高さや美しさによって、相手を判断しなければならない。まったく、白人たちにかかると、気高い神話でさえこんなふうに調子の低いものになりさがってしまう。よし、われわれでひとつ、このシンデレラの話を正しい形に戻してやることにしよう」

そんなことがあってしばらくしてから出来上がってきたのが、『モカシン靴のシンデレラ』の原型となる「肌をこがされた少女」の物語だったのです。

 

「カイエ・ソバージュ」でも中沢が、

シンデレラ物語の構造が、現代の消費的な文明にもみごとにフィットする柔軟性を備えていることも、私たちはすでによく知っています。気の遠くなるように深い古代性と波乗りのように浮ついた資本主義の一側面が、シンデレラ物語の中では、なんなくひとつに結びあってしまっているようなのです。これはいったいどうしたことでしょう。

と指摘していた「シンデレラ」の波乗りのように浮ついた資本主義の一側面を見事に削ぎ落として格調高い「神話」へとミクマク族によって仕立て直されたのがこの「モカシン靴のシンデレラ」です。誰もが感動する物語、絵もストーリーの幻想性に合ったタッチでとても良かったです。