小説「八日目の蝉」角田光代 奇跡のような救い、その秀逸なラストシーン | S blog  -えすぶろ-

S blog  -えすぶろ-

-人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ- 『BORN TO RUN』より
走りながら考える ランニング・読書のブログ

角田光代さんの小説は初めて読みました。「なんでわざわざ中年体育」というエッセイが面白過ぎたので、まずは無難に映画で見て感動したこの「八日目の蝉」を選びました。

 

↓以前書いた記事

角田光代「なんでわざわざ中年体育」

 

 

やられました。角田光代という作家の力量を思い知らされた、という感じです。

0章・1章では希和子の一人称、2章では恵理菜の一人称(最後に少しだけ希和子の一人称)でそれぞれ描かれる巧みな心理・行動描写に並々ならぬ筆力を感じました。

そして突然、過去を憎み続けてきた恵理菜の心の中で起こる奇跡のような救いの感動。

愛情に満ちた母(と思っていた希和子)と薫として小豆島で過ごした耀きに満ちた1年1ヶ月の日々の記憶。最後にフェリー乗り場で恵理菜を保護した刑事たちに向かって逮捕された希和子が叫んだ「その子は、朝ご飯をまだ食べていないの」という言葉。例え本当の母ではなく自分をさらった誘拐犯だったとしても、愛された過去を受け容れよう。ダメな父も母も受け容れ、自分の子供が生まれる未来に向かって生きよう、という気持ちに恵里菜は生まれ変わることができました。このラストによって読者側も救われた気持ちで読み終えることができます。

ドストエフスキーの「罪と罰」が好きで何度か読み返していますが、エピローグで流刑地シベリアにいるラスコーリニコフが突如自分の過ちと誤りに気付き改心してソーニャに許しを請うという「魂の救済」の瞬間のようなシーンがあり、この本を読み終わった直後にそのシーンを思い出しました。

きっと、未来に希望が持てる終わり方、醜悪さ美しさが混然とした人間心理や無意識に起こしている行動の巧みな描写、主人公が取り返しのつかない犯罪を犯した後をリアルに描いている、といった部分でも似ていたからかもしれません。

 

奇跡は小豆島に渡るフェリー乗り場へ行くため、岡山で乗ったタクシーの運転手のこの一言からはじまります。

「そうじゃ。岡山も見てまわったん?おえんよ、ちゃんと見ていかんと。倉敷歩いて、後楽園見て。バラ寿司食べにゃ。バラ寿司おいしいよーゆうて東京の人に教えてあげにゃ」

この言葉を聞いた途端、恵理菜は何故か激しく動揺します。実はこのタクシー運転手、19年前にエンゼルホームから逃れてきた希和子と恵理菜(薫)をフェリー乗り場まで乗せた運転手と恐らく同一人物で、全く同じセリフを19年前にも恵理菜は聞いています。多分このセリフは彼にとって東京から来た客に何十年も使い続けてきた「鉄板営業トーク」だったんでしょう。(19年前は運転手は「初老の男性」、ラストシーンでは「年老いた運転手」と表現されています)

恵理菜は1984年8月19日生まれ、1985年2月3日に希和子に誘拐され、その後、友人康枝宅、名古屋の中村とみ子宅を経て、エンジェルホームで2年半過ごし、このタクシーに最初に乗ったのは1987年8月7日、3歳になる直前でした。そしてラストシーンは2006年3月、恵理菜21歳。

この運転手のセリフが奇跡の引き金のような役割を果たし、恵理菜の中で薫として希和子に愛されて過ごした日々の記憶が鮮明に蘇ってきます。3歳時の記憶が蘇る・・・それ程、小豆島で母(と信じていた希和子)の愛と地元の人々と自然に育まれた日々は恵理菜にとって忘れがたい黄金の日々だったのでしょう。

 

フェリー乗り場で希和子と恵理菜は、お互いに気付かずにすれ違った、という描写になっていますが、最後に再度、希和子の一人称になる部分で、このフェリー乗り場のすれ違いの後、フェリーに乗った「見知らぬ妊婦と恐らくその姉(恵理菜と千草)」の姿を思い浮かべながら見る海を希和子は、

茶化すみたいに、認めるみたいに、なぐさめるみたいに、許すみたいに、海面で光は踊っている。

と表現しています。これは0章の最後で希和子が赤ん坊(恵理菜)を誘拐する時に、赤ん坊の笑顔から感じた、

茶化すみたいに、なぐさめるみたいに、認めるみたいに、許すみたいに。

とほぼ同じ。

恵理菜を「見知らぬ妊婦」と表現してはいますが、本当は希和子は大人になった薫(恵理菜)だったと気付き、それを自分にも隠すようにそっと胸の奥に大切にしまったということかもしれませんね。

深い余韻を残す、本当に計算され尽くした秀逸なラストシーンでした。

 

映画もまた観てみたくなりました。原作の千草を知り、小池栄子が大絶賛されてた理由も分かりました。