「はじめてしまうと、ずるずる“やめない”習性を持っている私。雨降りでない限り、週末は必ず走っている。」
ものごとを継続させることができる「継続力」、しかもランニングという立派な習慣について、ここまでネガティブに表現した人は初めてじゃないでしょうか?(笑)
ということでニヤニヤ笑いが止まらない、角田光代のネガティブ・スポーツエッセイ集「なんでわざわざ中年体育」の感想です。
なんでわざわざ中年体育
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角田さんはTVドラマ化・映画化されてヒットした「八日目の蝉」や「紙の月」等が有名な小説家ですが、私は映画は観ましたが、小説は一度も読んだことがありません。
あの号泣ものの「八日目の蝉」の原作者が、こんなに面白くてちょっと変わった人とは知りませんでした。小説も読んでみたくなりました。
(読みたい本が次々に増え続けていく。。。)
東京マラソン・NAHAマラソン・メドックマラソン、トレイルランニング、ビブラムの五本指シューズを履いてベアフットランニング、登山にボルダリングにヨガと、様々な「体育」を行ったことが書かれたエッセイ集です。
雑誌の「Number Do」に2011年から4年に亘って連載していたエッセイをまとめた本だとのことです。
角田さんは1967年3月生まれとのことなので、ちょうど私と同級生、ランニングを継続していてマラソンの大会にも出続けているということでかなり親近感がわきました。
最初に断言するが、私は走ることが好きではない。友人が会長を務めるランニングチームに属してはいるが、彼らのラン後飲み会に混じりたくて入ったにすぎない。そもそもこのチームの主な活動は飲み会である。
チームに入って5年、駅伝(5km)に一度、大会(10km、ハーフの部)に一度ずつエントリーし、いつかそのうちフル、と思いつつ、ずっと避けていた。「いつか」なんて10年先でいいと思っていた。それでもこの5年、週末は必ず、雨さえ降らなければ10kmから20kmの距離を私は走っている。たのしいから走っているのではない。いやいや走っている。なぜいやいやながら走るかといえば、一回休めば、翌週も休みたくなるに決まっており、翌週もサボれば、その先ずっとサボるに決まっているからだ。つまり、一回休むということは、私にとってチームを辞めることを意味するのだし、それはつまり、この先一生走らないことをも意味する。
最初のエッセイ「東京マラソン」の書き出し部分ですが、いきなり「走ることが好きじゃない宣言!」(笑)
こんな調子のエッセイが23篇、ニヤニヤしながらあっという間に読み切ってしまいました。
特に気に入ったのは、マラソンを走ったことがある人なら分かるはずの、あの30km以降辛くなった時に聞こえる「もう歩いてもいいよ」という頭の中の悪魔の囁きとの葛藤の描写、見事でした。
最後に載っている中年体育心得8カ条がまた笑えてしかも的確!
・中年だと自覚する
・高い志を持たない
・ごうつくばらない →体脂肪を減らす等の「お得さ」を求めないという意味
・やめたくなったら、やめる前に高価な道具をそろえる
・イベント性をもたせる
・褒美を与える
・他人と競わない
・活動的な(年少の)友人を作る
面白かった!
この本、以前このブログでも取り上げたことのある村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」とちょうど対極をなすようなエッセイ集だな、と感じました。村上さんはマラソン3時間半前後というガチランナーですしね。
↓ブログ記事
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
僕は走りながら、ただ走っている。
僕は原則的には空白の中を走っている。
逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった
村上さんの方はこんな感じの「走るってカッコいい!」と思わせてくれる名文が散りばめられているエッセイ集です。
ランニングが趣味という方には、この「中年体育」と「走ることについて」の2冊読み比べがお薦めです。
走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
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