マザー・テレサ 感動の逸話「私はフラッシュがひとつたかれるたびに・・・」 | S blog  -えすぶろ-

S blog  -えすぶろ-

-人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ- 『BORN TO RUN』より
走りながら考える ランニング・読書のブログ

マザー・テレサは1946年36歳の時、

「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたという。

1950年から修道会設立の許可を得た。

これが「神の愛の宣教者会」である。

テレサによれば、同会の目的は

「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、

必要とされることのないすべての人、愛されていない人、

誰からも世話されない人のために働く」ことであった。

] テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。

インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院をゆずりうけたテレサは

死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。

以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。

マザー・テレサのWiki より 

 

 


マザー・テレサは本当に凄い実行の人で、

 

現代の「聖者」だと思いますが、

 

その並外れた「人を救いたい心」が垣間見れる

 

感動的な話が一昨日の致知出版メルマガにありました。

 


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
致知出版社の「人間力メルマガ」

【2011/2/1】 致知出版社編集部 発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


このメールマガジンでは、
人間力を高める月刊誌『致知』から
そのエッセンスの一部をご紹介しています。


インドを中心に、貧しい人々に無償の愛を与え続けた
「20世紀の聖女」マザー・テレサ。
本日は、同じ修道女として、また通訳として身近に接した
渡辺和子さんのお話をご紹介します。


────────────────────────────────


「キレそうなときに、キレないですませる方法」


渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)

『致知』2004年10月号
「マザー・テレサから学んだもの」より

────────────────────────────────


先日、私はある講演会で、
「実は私もキレそうになるときがあるのですよ」
というお話をしたところ、聴衆に大変喜ばれました。

修道者とはいえ、忙しいときの電話や思い通りにならないこと、
「どうして!」と、イライラすることがあるのです。

私はマザー(テレサ)から、キレそうなときに、
キレないですませる方法を教えていただきました。


あれは1984年11月に来日されたときのことでした。

岡山駅までお迎えにあがると、
辺りはテレビや雑誌の記者、一般の人で
黒山の人だかりができていました。

マザーがお着きになると本当に文字通り
「フラッシュの雨」が降ったのです。

その後、どこへ行っても、
「マザー、こっちを向いてください」
「次はこちらを」
とびっくりするほどたくさんの写真を撮られて……。


異国の地での厳しい講演日程に加えて、
新幹線や車など慣れない乗り物での長距離の移動、
当時マザーは74歳でした。

肉体的にも精神的にもお疲れでしょうに、
マザーは嫌な顔ひとつせずにニコニコと、
本当にすてきな笑顔で応対していらっしゃったのです。

私は内心
「マザーはカメラ慣れをしていらっしゃるのかしら。
それとも写真がお好きなのかしら」
と思っていましたが、口には出さずにおりました。


夜10時を回ったころだったでしょうか、
ようやくすべての予定を終了して修道院にご案内し、
二人で肩を並べて歩いていると、マザーがふと、


「シスター、私はフラッシュがひとつたかれるたびに、
死にゆく魂が神様のみもとに
安らかに召されるように
神様と約束をしてあるのです


とおっしゃったのです。
生きている間、いいことがちっともなくて、
神や人、世間を呪っていた人たちの魂が

「サンキュー」

と言って穏やかに、この世と和解して死んでいくために、
煩わしいけれど、疲れているけれど、笑顔をするんです、と。

その上、


「今日はまだ祈っていないから」


と、寒いチャペルでストーブもつけずに、
寝る前に一時間お祈りを捧げられました。
マザーは祈りを大切にした方でした。


私はそんなマザーの姿を拝見して、人には


「自分の心との葛藤」



「自分と対話するゆとり」


が必要なのだと感じました。


日常の中には、マザーにとってのフラッシュのような
「煩わしいもの」や「イライラするもの」
「面倒くさいもの」が、必ず存在します。

そういうときにグッと我慢をして、
「これを我慢しますから、
どうかあの人の病気が治りますように」
と他人を思いやったり、「仕方がないよね」と許す
「ゆとり」を自分の中につくる。

キレそうになる自分を抑えるための、
自分との小さな闘いが必要なのです。


逆に失敗したときは自己嫌悪に陥るのではなくて、
「今度はもうちょっと我慢しようね」と自分と話してみる。

マザーが「マザー・テレサ」で
あり続けることができたのは、
そういう自分自身との闘いと、ゆとりを
常に持ち続けていらしたからではないでしょうか。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 

私はフラッシュがひとつたかれるたびに、

 

死にゆく魂が神様のみもとに

 

安らかに召されるように

 

神様と約束をしてあるのです

 

生きている間、いいことがちっともなくて、
 

神や人、世間を呪っていた人たちの魂が

 

「サンキュー」

 

と言って穏やかに、この世と和解して死んでいくために、
 

煩わしいけれど、疲れているけれど、笑顔をするんです

 

 

全く一貫した「救いたい」という心。

 

感動するとともに

 

自分が努力するべきことについて

 

深く反省をさせられる話です。