大震災の前のことだから、もう7年以上前
店に「藤田宿というのは、どの辺でしょうか?」と、リュックを背負った旅の人が訪ねてきた
これは文化センターに聞くか、総務課の課長に聞く方が良い
ということで、電話をしたら
文化センターでは「わからない」、そして総務課の課長も外出中
困った・・・
藤田宿の跡地を明記した墓標みたいなの、私も見たことが無い
ただ、昔ここは半田銀山(隣の桑折町の山)の工夫や旅人の宿場町だったことは知っていた
名刺を頂いて、何か分かれば連絡します!ということで
町なみの話などをした(私の知っている限りの)
ここで歴史の勉強会を企画して、開催したことが役に立ったなぁ~
大震災が6年前に発生し、その被害修復も終わった頃に
その旅人からの電話を取った
すぐに「かっちゃん」と分かった
かっちゃんは、また福島を歩いているのだそうだった
「食事でもしましょう!」と、ちょっと遠いけども町一番の食堂の中国料理・桜華楼へ
そして帰りの車の中で、大震災と原発事故の話をした
「発電すればするほど、放射性廃棄物がどんどん増えるのになぜ原発を動かすのだろう」と
福岡県出身のかっちゃんが話したのを今も憶えている
ふと昨日
かっちゃんのことを思い出して、メールした
そしたらすぐに返って来て
「熊本に行ったんですか?教えてくれたら途中の小倉で会えたのに」という内容だった
「今回は飛行機で行ったんですよ」と送ったら、福島空港からのルートを書いたメールが来て
出発は仙台空港だったんです
そしたら、かっちゃん詳しかった
「あぁ、仙台空港から熊本空港は便が無いですもんね」と
こういう旅のルート、私が知らないだけだったかなぁ・・・
北海道の妹も詳しいし
やはり時々は旅行でもしなきゃいけないかなぁ~
国見に「道の駅」ができるという話も、写真入りメールで送った
(そのためにわざわざ国道4号線を越えて写真を撮りに)
写真を撮りに行ったら、「道の駅」の出口を逆走して赤信号を通過した大バカ者がいたな・・・
そして、もしかすると
このブログを読んでくださった方の町にも、旧街道があれば
かっちゃんが歩いているかもしれません
私のことが聞けるかも(笑)