こんばんは
いつもお読みくださりありがとうございます🌸
スタートアップコンサルタントのふくです^ ^
最近はだいぶ涼しくなってきましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか^ ^
きょうは、生きていく上で
切っても切り離せない
『人間関係』
についてシェアしていこうと思います
『人間関係』ときくと
世の中では特に
『円滑な人間関係を築かなきゃいけない』
とか
『みんなと仲良くやらなきゃいけない』
とか
『まわりに好かれ、受け入れられることが善』
とか。。
社会からの視点のような、
大前提のようなものが
暗黙の了解としてあるような感じですよね。
そしてそれがうまくできなければ
コミュ障的な扱いで
ネガティブなイメージをもたれたり。
もしくは、自分を責めたり。
様々、目にします。
そして、わたしも例にもれずそう思っていた。
でも、この言葉を知ってからは
これこそ『お互いに幸せな人間関係』をつくるスタンスだなあと思えるようになったのです。
それは、
『ゲシュタルトの祈り』
(以下引用)
わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ。
(引用終わり)
聞いたことある方
目にしたことがある方
たくさんいらっしゃるかもしれません。
わたしもそのひとりです
ただ、年齢をかさね人との関わりの中で悩んだり躓いたりするたび
より一層強く、そして深く自分のなかに刻まれていくような感覚があって。
また、この言葉は
個々の存在すべての「価値」について
かけがえのないものなんだということを伝えてくれている気がするのです。
他者からどう思われていたとしても
自分はそこに存在していること、ただそれだけで
この世界に祝福されたかけがえのない素晴らしい存在であるのだと。
同時に他者もまた、「私」がどう思うかに関わらず
その存在自体がかけがえのない素晴らしい存在であるということ。
無理に合わせる必要もないし
考えや価値観があわないからといって
お互いの存在価値がゆらぐようなものではない。
でも、もしそんな世界でお互いに出逢い、共に歩んでいけるのならば
共に大切に思えるような存在であるならば
そんな幸せなことはない。
そうであっても、そうでなくても。
どちらでもすばらしいのだ。
そんなメッセージが込められているんじゃないかなあ、、と私は勝手に思ってます(*´艸`*)
人間関係に悩んでいるときって、
人は多かれ少なかれ
他者の価値観や振る舞いに自分が影響を受けている状態。
気づかぬうちに相手の問題に介入しすぎていたり
無意識に相手だけ価値があるように感じていたり
もしくは、相手の介入を許しすぎていたり。。。
私は私。人は人。
そのシンプルな言葉で表現された意味には
どんな人間関係にも適切な距離があり
そこを見失ったときに
様々な悩みやずれが生じてしまうことを教えてくれている。
他者の言葉に傷ついたり、心がざわついたりしたとき。
ぜひ、この言葉たちを思い出して。
そして口に出して、一度つぶやいてみてほしい。
私は私。人は人。
そして、私は私の人生を生きる、と。
みんなと仲良くする必要なんてない。
悪意をぶつける必要はないけれど
無理をして好かれたり、関係を継続させる必要なんてないのだ。
仮に無理をして関係が継続できたとしても、
そんな人はいずれ離れていくし
無理が続けば自分が壊れて、いずれ関係は終わってしまう。
ならば、時間は有限だし
いつまで生きられるのかなんて誰にもわからないから。
どうでもよい関係を維持するために心をすり減らしたりすることはやめて
大切な人たちとの絆を強めていくことにエネルギーを使える自分でありたいですね
今日も最後までおつきあいくださりありがとうございました
皆様の毎日がいつも幸せにつつまれていますように
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