おはようございますおねがい

ってもうお昼ですね。


きょうも関東地方は朝からいいお天気で。

午後になり少し曇ってきましたが。


青空をみて、朝日に照らされると

なんだか浄化されるような

気持ちになります。



きょうはわたしもついついはまりがちな

『努力』について

シェアしようとおもいます。



みなさんは『努力』ときくと

どんなイメージを持たれていますか?


勤勉家

美しい汗

積み重ねることで目標が達成される、、

などなど


ネガティブなイメージよりは

どちらかというと誠実な

真面目で勤勉なイメージを思い浮かべる方が

多いのではないでしょうか。


わたしもそうでした。

今も、ネガティブなイメージはあまりなく

むしろ信頼の土台になるイメージを

持っていました。




ただ、ある本を読んでからは

少し見方が変わった事があったため

ちょっと書いてみようかなと思いました。



脳科学者の中野信子さんの著書に

『努力不要論』という本があるのですが

その中でかなり衝撃を受けた事があります。



もちろんこの本は

努力すべてを否定しているものではなく

戦略のない努力は無駄なものであり

時に人を誤った方向へ導くこともあるんだよ、

ということが

とてもわかりやすく書かれています。

もちろん脳の視点からも様々な事が書かれていて

よみながらドキリとする事もしばしば。



その一つの章に

『努力は人間をダメにする』

という部分があります。


なぜか。


それは、

『努力している自分』というものは

とても中毒性があり、

努力が目的になってしまうこと。

努力している事が喜びになってしまう事が多々あるとの事。




そして何より

その努力に我慢が伴うものの場合。


人には我慢できる事の量は決まっており

我慢の限界を超えてしまうと

我慢しなければならない事まで我慢できなくなる、ハメを外してしまうような事がおきると。


『自分はこれだけ正しい事をしているんだから

許される』という言い訳を

脳が無意識に行ってしまい

結果として倫理的に悪いことをしてしまう

傾向が高いと。


そんな実験結果が書かれていました。

※もちろんこれは『誤った努力』をしている場合の参考例なのですべての努力を指すものではないです。

ここでいう『誤った努力』とは

目的につながらないけど頑張った感がある、

いわゆる無駄な努力。我慢。という意味にちかいものを指します。



この一文を読んだ時、私は

『こわっ』と思いました。


それは、思い当たるフシがありすぎて。

自分に『我慢』を強いて積み重ねた『努力』は

いつかダークなエネルギーとして無意識に

自分をおとしめるばかりか

他人にも危害を及ぼしかねない。




努力は報われる、


それは素敵な響きだし

もちろんそうあって欲しい。


ただそれが、身勝手な努力で

目的にそぐわないような努力を

それと気づかずに行っている事はないだろうか。


目標を見失なった努力を

自分に強いていないだろうか。




みなさんの中にも

もしかしたら思い当たる部分がある方も

いらっしゃるのではないでしょうか。



目標に向かう戦略的な努力は報われる。

でも努力が目的になってしまっているものは

たとえ満足感があっても成果を生まず

かつ、ジワジワと自分を苦しめること。


その事に気づいた時

わたしはものすごく耳が痛いなと

感じました。



また、我慢をしている分だけ

他人を許せなくなることも

様々なものに書かれている。


それは、自分はこんなに〇〇しているんだからと

無意識に積み重なった我慢や

ブラックな感情が

他人に対して厳しい視点をもつ源に

なっているのかなと思う。




だからもし、努力を積み重ねる毎日に

つらさを感じていたり

目の前の努力だけに目が向いて

行きたい方向を見失いがちなときは

ちょっとだけ立ち止まって

自分を振り返ってみてほしい。





自分の『努力』は

適切な行動になっているか。

形ばかりの『努力』に

満足感をもち

自分に無理を強いていないか。


本当に自分がしたいことなのか。

誰かの思考を強制されていないか。


そんなとき、このブログが

一歩引いて自分を俯瞰するきっかけになれば

幸いです。




ではでは、今日もお読みくださりありがとうございました照れ


皆様の毎日がいつも幸せにつつまれていますように黄色い花黄色い花