こんばんはニコニコ


昨日に引き続き今日も気温が高いせいか

仕事場についたらすでに額に汗💦

おまけにコロナでのマスクライフのせいで

追い討ちをかけるように酸素が激薄!!ゲロー


駅の階段なんか登ろうもんなら

高山トレーニング中か、私((((;゚Д゚)))))))??

って言うくらいハアハアしてます。


やばい、、朝からアスリートになっちゃうわ。





タイトルを見てお気づきの通り『三部作』が

いつのまにか『①ー1』に(*´艸`*)💧

ひとつの内容長すぎて家族編が『①』では

おさまらない事が判明。


いきなり構成変更になってますが

よかったら気長にお付き合い頂ければ幸いですてへぺろ



今日は、母のこと。


母は早くに実父と死別。

その時代は死別でも母子家庭には厳しい時代背景があり、祖母はかなり苦労して

子供2人を育てたそうです。

祖母の実家はいわゆる地方の田舎にあったため

死別であっても実家に戻る事はできず。

そんな祖母の姿をみていたせいか

母は決意したと。

『ぜったいに片親だから〇〇なんだ』と

言われないようにしてやる!

『祖母(母からみた、母)と幼い弟は私が守る』と。


母は勉強も運動も剣道も常に優秀で

高校も剣道の推薦枠で入学しながら

学業も進学コースのクラスで入学していました。


が、その事が後に母の挫折に繋がります。


スポーツ推薦入学の他の先輩方のクラスは

進学コースより授業が早くおわる。


おまけに母は入学時点で先輩方よりも

上位の段持ちであり、試合は県大会でも

優勝を重ねていた事で

かなりのいじめ対象になったようです。


昔の運動部の上下関係は想像を絶する厳しさと

理不尽がまかり通っていた、、らしい。


又、先輩方と同室の寮生活であった為

母が食堂に行く頃には

食事がないのは当たり前。


親が差し入れた私物も勝手に持ち出される。

朝まで正座、先輩のマッサージを徹夜でさせられる。

竹刀がビシバシ、、など


相談しても教師も見て見ぬふり。

状況は知っているため授業中の居眠りは

見逃してもらえてたみたいですが(^^;

(先生に言いたい。そこじゃねーよ💢)



運動部とは無縁のわたしにはその感覚がまったく理解できませんがそんな生活が続いていたと

聞きました。

睡眠不足や精神的ダメージもあり

正常な判断力はきっともうなかったでしょう。


ある日校舎の窓から無意識に飛び降りそうになっているのを発見された事がきっかけで

当時の義父が転校をさせたそうです。


母は正義感が強く、剣道を磨き、ゆくゆくは

警察官になりたかったとの事。

でもその夢はいじめからの自己の崩壊により

諦めたようです。

今までの功績とのギャップが受け入れられず

大きな挫折感を味わったと。


後にその学校では他の運動部で自殺者がでて

大問題となりました。


卒業後は親族の紹介で就職するものの

その正義感からか雇用主と従業員の対立の際

代表者のようになってしまい退職に至る。


その後はスポーツ万能である事を活かし

水泳や運動指導などでしばらく働いていました。

わたしがおじいちゃんと過ごしていたころは

まだその仕事をしていた記憶があります。


やがておじいちゃんが亡くなり

家族総出で家業を営むことになり。

弟も、やりたい仕事があったのに

進路をあきらめ自営業を営む形となったのです。


余談ですが、祖母は未だに弟(私からみたおじ)をやりたい進路へ進ませてやれなかったことに

負い目を感じています。

(もうそろ還暦なおじ。今のおじの状況は祖母のせいだけじゃないと個人的には思います)


連れ子再婚であったため学費がかかる進学をさせてやれず、結果的には潰れる会社の社長に

して未来を奪ってしまったと。


そんな関わりの積み重ねから

母はどうしても祖母と弟を放っておけない。


私からしたら

『え?私は何?』って感じの連続だったのですが

母いわく、

『kebiは何でもひとりでできるし、みんなに可愛がってもらえているから大丈夫』

という意味不明な認識をしている。。



正直、それ言われた時はふざけんな💢

と思いました。

いや、思い続けてました。マジで。


私からしたら、


『皆に可愛がってもらえるのはうれしいよ。

 でも、それは私が生きるために全力で

 努力して努力してやってるわけで。

 わたしのほんとはそうじゃない!

 親にわがままとかいいたい!

 親に守ってもらいたい!

 私を愛してもらいたい!

 認めてもらいたい!

 いちばんに大事にしてほしい!!』


って、ずっと思ってました。


私が悲しんでるのに

私がこんなに苦しんでるのに

それは他でもない、母と祖母達のことで

悩み苦しんでるのに。

こんなにお金もだして

こんなにいろいろ動いてるのに


どうして私の事を心配してくれないの。。



そんな日々を何年も何年もすごすうちに

わたしはどんどん親子関係の癒着、依存。

負のスパイラルにどっぷり浸かっていました。

気づけば、母と同じ事を私はしていた。



私がやらなければ。

私が助けなければ。

でも、苦しい。

でも、もし助けなかったら

お母さんはいなくなるかもしれない。

取り返しのつかない事態がおきるのが怖い。


そんな長い長い、

その時の私には永遠にもみえる暗黒期。



わたしは逃げるように、

すがるように結婚をきめた。

もちろん夫のことが好きで結婚しましたが。


今思えば、親にもらいたかった愛情を

すべて夫からもらおうとしていた。

と、いうか自分で自分を愛せない分を

他人に埋めてもらおうとしていた。

奪おうとしていた。


そりゃ、夫も息苦しさ満載で

にげだしたくなるよね。

ごめんね。あのときの夫。

ありがとう。


その後2年程、夫とも夫婦関係をこじらせ

別居することになるのですが。

それはまた、別の話。。。



続きます。