伝え残したい名車7⃣
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『伝え残したい名車7⃣』
より速く。誰よりも速く。その思いが形になったとき日本のバイク史上もっとも個性的なマシンが誕生した。
1966年。新技術をふんだんに取り入れたサムライの出現はハイウェイのエンジン革命と銘打たれ、周囲の度胆を抜いた。それはまさにスーパースポーツ誕生の瞬間であり、その後突入していく“最速”という激動の時代の幕開けでもあった。
世界一に君臨することへの執念から誕生したMACH 750SS
“世界最速”という明快な意志のもと、カワサキは69年に2ストローク3気筒エンジン“500SS MACHⅢ”を誕生させた。マッハはジャジャ馬ぶりを大いに発揮し、最速の座に君臨したが、その年の8月、ホンダCB750FOURの登場で“カワサキ=最速”の図式は成り立たないものになってしまった。
そのころカワサキは最強の4ストロークエンジンを開発しているまっただ中で、あと数年はCBに天下をゆずるかに見えた。しかし、A1/A7から500SS MACHⅢまでにつちかった2ストロークのノウハウを集結し、再び王座を奪うことに着手した。たとえ次の最強4ストロークモデルまでのわずかな期間としても、2番手に甘んじるのを嫌い、世界一に君臨することにこだわったのである。そして、この執念のなかから誕生したのがカワサキにとって初のナナハン、MACH 750SSだった。その動力性能は、71ps/6800rpmとクラス最強パワーをほこり、乾燥重量も192kgと、こちらもクラス最軽量であった。そして最高速度203km/h、ゼロヨン12.0秒という数値は、再びカワサキが“最速”を奪取したことを意味していた。
ロケットスタートと、わき上がるバイブレーションに魅せられた“カワサキ乗り”
500SSに秘められたノウハウを十分に考慮し作り上げられた750SS。一気に14psもアップした最高出力のためにギヤボックス内を強化し、ギヤ比も細く改良を加えてエンジン特性を扱いやすくした。また500SSからCDI点火が採用されたが、750SSではさらにACジェネレーター内蔵のCDIを装着。始動性が格段に向上、車体まわりも剛性を高められている。単なる500SSのボアアップ版やCBに対抗するための最新機種を待つ間のつなぎ的存在に見られることのある750SSだが、実際はこのように、細部にわたり磨き上げられた結果、その成果を見事に出したバイクなのである。また、サーキットではH1Rのフレームに750ccのユニットを搭載したH2Rが登場し、大活躍をみせたことからも一級品のエンジンだったことをうかがい知ることができる。呼び名は国内では750SSで、海外ではマッハⅣだった。SSの意味はスーパースポーツで、サイドカバーのⅢは3気筒を表している。
また750SSは単に排気量が増しただけではなく、500よりも低中速が扱いやすく、コントロールしやすい性能になっていた。しかし、それはあくまでもマッハシリーズとしての話であり、やはりカワサキの空冷2ストローク3発は、レーシーなモンスターであり、万人受けするには遠い存在だった。そして70年代、時代は4ストロークを求めた。乗りやすく、排気音が静かで環境にも見合ったマイルドなマシンに主流は移り、マッハの栄光はやがて消え去っていくことになる。だが、当時、マッハのロケットスタートと、わき上がるバイブレーションに魅せられマッハを操ったライダーたちこそ“カワサキ乗り”であり、現在あたり前のように使われるこの言葉は、マッハ乗りと、日本車史上もっとも個性的なこのバイクによって誕生したといっても過言ではないのである。
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