|
|
関守石とは、茶庭や露地の飛び石や延段の岐路に据えられる石で、蕨縄やシュロ縄で十文
字に結んである小石のことです。 茶道の作法 において、この石が置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」の意
味があり、これから先、客の出入りを遠慮してもらうための印として関守の役をもたせたために この名があります。 関守石の形式としては、径10~15cmぐらいの比較的底の安定の良い小石に、シュロ縄か蕨
縄でにぎりをつけて持ち運びできるようにしたものが使用されるのが一般的なようです。 その簡素で優れたデザイン性に加え、その用途に応じ、必要な時に、必要な場所に配置する
ことができるのが優れた点でもあります。 止め石、留め石、関石(せきいし)、極石(きめいし)、踏止石(ふみとめいし)とも呼ばれます。
関守石という名称の来歴については、以下のような逸話が由来のようです。
安土桃山時代(1568-1598年)茶道を大成した千利休(1522-1591年)が、小座敷に玄関を
つけ、大阪堺の南宗寺の笑嶺和尚を招いて茶をふるまった際、その時、玄関口に関守といっ て壷または香炉を置いたことが伝えられています。 禅の修行において、修行者が悟りを開いたことを師から許可されることを「一関透過の義」と
言いますが、それを踏まえ、利休が「壷が関をふさいで通れないので、どうか通れる方法を教 えてください」と和尚に問いかけたものと思われます。 この記事は『南方録』(茶道書。七巻。南坊宗啓著。1593年頃の成立とされる。師千利休から
伝授された利休茶道の秘伝書といわれます。立花実山による増補本九巻があり、実山の著述 とする説もあります。)のなかに出てきます。 今では、茶庭の飛石の上に小さな石に縄からげしたものを置きますが、これがこの石の名と
なった由来のようです。 利休の頃には、単に飛石の上は小石二つ載せておいたこともあるそうです。
すなわち、関守石のアイディアや思想は、茶道を大成させた千利休の頃に生まれたものと言
えそうです。 「関守石」の約束事、歴史的経緯を踏まえながら、さらに独自の空間形成機能に注目するこ
とにより、以下のような役割があると考えられます。
私が、いろいろな文献を調べたかぎりでは、一つに定義されたものはないようです。
基本的にはすわりのよい小さな石(ごろた石など)に蕨縄やシュロ縄で十字型に結び、持ち運
びができるようにすればよいようです。 あくまで原型は茶会の催し前に、石を結んで置いておくという簡素でその場的なものであるの
で、それぞれのご主人が工夫してつくればよいものと思われます。 修景的に用いたり、長い間使用したい場合は、結び目をほどけないように、丈夫な結びや飾
り結びなど目的に沿った結び方をしたほうが良いかと思います。 緑のまち工房さんより
●掲載写真は、非営利を前程として使用させていただいてますので、再使用は不可です。
|
おおきに~♪
