漱石と私。
ふと、大学時代に読んだ数少ない論文の一説が頭をよぎった。探してみると、押入れの奥からその単行本が出てきたではないか!
『たとえば、漱石は幼時に養子にやられ、ある年齢まで養父母を本当の両親と思って育っている。彼は「とりかえ」られたのである。漱石にとって親子関係は決して自然ではなく、とりかえ可能なものにほかならなかった。ひとがもし自らの血統(アイデンテイテイ)に充足するならば、それはそこにある残酷なたわむれをみないことになる。しかし、漱石の疑問は、たとえそうだとしても、なぜ自分はここにいてあそこにいないかというところにあった。すでにとりかえ可能なものとして存在するからだ。』
(柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫)
誰しも、他人と自分を比べては羨望やあこがれの眼をもってその人を眺める、という経験をしてきただろう。「隣の芝は青く見える」とはよく言ったもので、ついつい他人というフィルターを通してしまうと、人はありもしないボーダーラインを引いてはそこに到達していない自分を悲しんでしまうものだ。
しかし、両親より与えられた固有の「肉体」は、悲しいかな「とりかえ」ることができない。だから彼・彼女らは雑誌モデルと同じ格好をして(もしくは『そこから抜け出ること』だけを基準にして)自分を着飾る。
あくまで「自分ではない自分」を演出しようと躍起になり、それを「自分らしさ」「個性の主張」と口現する。まさに、「価値観の多様化」万歳!!である。。。
改めて「自分」を顧みたとき、「普通」「平凡」の意味を信じている「自分」を感じたとき、上記の引用文を思い出した。「どうしてあそこにいる彼が私ではないのか」「あの人にできて私には出来ないのか」という感覚。それはつきつめていくと、「自分はどうしてここにいるのか」という問へと収斂されていく。
だが、それは常に「他人」というフィルターを通してしか「自分の生」を描けていないということである。前述の「彼・彼女ら」と大した変わりは無い。
そんな自分が、今変わりつつある。「ここにいるのか」という問は、「ここにいたい」という思いに変わり、それは憧れの地への道標へと、「どうして自分はあの地に憧れるのか」という、純粋な自分への問(願望)へと昇華されつつある。
早く「他人の『生』」を心から尊重できる人間になりたいものだ。
『たとえば、漱石は幼時に養子にやられ、ある年齢まで養父母を本当の両親と思って育っている。彼は「とりかえ」られたのである。漱石にとって親子関係は決して自然ではなく、とりかえ可能なものにほかならなかった。ひとがもし自らの血統(アイデンテイテイ)に充足するならば、それはそこにある残酷なたわむれをみないことになる。しかし、漱石の疑問は、たとえそうだとしても、なぜ自分はここにいてあそこにいないかというところにあった。すでにとりかえ可能なものとして存在するからだ。』
(柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫)
誰しも、他人と自分を比べては羨望やあこがれの眼をもってその人を眺める、という経験をしてきただろう。「隣の芝は青く見える」とはよく言ったもので、ついつい他人というフィルターを通してしまうと、人はありもしないボーダーラインを引いてはそこに到達していない自分を悲しんでしまうものだ。
しかし、両親より与えられた固有の「肉体」は、悲しいかな「とりかえ」ることができない。だから彼・彼女らは雑誌モデルと同じ格好をして(もしくは『そこから抜け出ること』だけを基準にして)自分を着飾る。
あくまで「自分ではない自分」を演出しようと躍起になり、それを「自分らしさ」「個性の主張」と口現する。まさに、「価値観の多様化」万歳!!である。。。
改めて「自分」を顧みたとき、「普通」「平凡」の意味を信じている「自分」を感じたとき、上記の引用文を思い出した。「どうしてあそこにいる彼が私ではないのか」「あの人にできて私には出来ないのか」という感覚。それはつきつめていくと、「自分はどうしてここにいるのか」という問へと収斂されていく。
だが、それは常に「他人」というフィルターを通してしか「自分の生」を描けていないということである。前述の「彼・彼女ら」と大した変わりは無い。
そんな自分が、今変わりつつある。「ここにいるのか」という問は、「ここにいたい」という思いに変わり、それは憧れの地への道標へと、「どうして自分はあの地に憧れるのか」という、純粋な自分への問(願望)へと昇華されつつある。
早く「他人の『生』」を心から尊重できる人間になりたいものだ。
My Rhythm has lost・・・
ちいさな自分を劃ることのできない/この不可思議な大きな心象宙宇のなかで/
もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/
至上福祉にいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/
そのねがひから砕けまたは疲れ/
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/
完全そして永久にどこまでもいつしょに行かうとする/
この変態を恋愛といふ (宮沢賢治『小岩井農場 パート九』より抜粋)
人間関係といえば大げさだが、人と人との付き合いにおいて経験上染み付いた「リズム」がある。他者を受け入れる、他者を理解する、などということは、宗教的観点や文化的・政治的に人をマクロな視点で捉える際に使う概念である。
縁なき衆生は救えない。日常生活のそれは、いわばラジオのチューニングを合わせるようなもので、人が変われば聞こえてくる音楽が違う。場所が変わればあちらと違う周波数にする。況や、周波数が合わなければ何も聞こえてこない。
・・・ま、聞かなくてもいいじゃないか。
というのが私の経験則である。いや、であった。 それを見事に打ち砕いてくれた友人があった。 7年来の付き合いになるその友人と、面と向かいお互いの胸の内をぶつけ合ったのは恐らく去年の年末が初めてであろう。思えば、その時から私のリズムは狂いを生じていたのである。「わかってほしい」という衝動に駆られるのである。「わかりたい」という思いがふつふつと沸いてくるのである。
自分自身を表現(口現)する術となると、とんとそれを持ち合わせていない私たち(似たもの同士)は、二人の間だけでも、自分というなんともつかみどころのない存在を分かり合おうと約束したのだ。
長々詳述したが、「彼女に惚れた!」を当blog、Fire Cracker風に表現しようとすると、こうなるのである。
もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/
至上福祉にいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/
そのねがひから砕けまたは疲れ/
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/
完全そして永久にどこまでもいつしょに行かうとする/
この変態を恋愛といふ (宮沢賢治『小岩井農場 パート九』より抜粋)
人間関係といえば大げさだが、人と人との付き合いにおいて経験上染み付いた「リズム」がある。他者を受け入れる、他者を理解する、などということは、宗教的観点や文化的・政治的に人をマクロな視点で捉える際に使う概念である。
縁なき衆生は救えない。日常生活のそれは、いわばラジオのチューニングを合わせるようなもので、人が変われば聞こえてくる音楽が違う。場所が変わればあちらと違う周波数にする。況や、周波数が合わなければ何も聞こえてこない。
・・・ま、聞かなくてもいいじゃないか。
というのが私の経験則である。いや、であった。 それを見事に打ち砕いてくれた友人があった。 7年来の付き合いになるその友人と、面と向かいお互いの胸の内をぶつけ合ったのは恐らく去年の年末が初めてであろう。思えば、その時から私のリズムは狂いを生じていたのである。「わかってほしい」という衝動に駆られるのである。「わかりたい」という思いがふつふつと沸いてくるのである。
自分自身を表現(口現)する術となると、とんとそれを持ち合わせていない私たち(似たもの同士)は、二人の間だけでも、自分というなんともつかみどころのない存在を分かり合おうと約束したのだ。
長々詳述したが、「彼女に惚れた!」を当blog、Fire Cracker風に表現しようとすると、こうなるのである。
はじめに ー故・藤田雄之助氏に捧ぐー
「成仏」とは、「故人が」「仏」に「成」るのではなく、「私たち」が「故人」
を「仏」に「成」らしめることを指すらしい。私に懇意にしてくださる、ある
浄土真宗の住職の話である。
過日、とある洋服屋のマスターが逝去された。といっても、私がそのマスター
と直接話をさせてもらったのは後にも先にも1回きりで、私にとってその人は、
いつもお世話になっているママさんのご主人であり、3代目のご尊父であると
いう認識でしかなかった。 しかし、私が今通いつめているその洋服屋は、当た
り前のことではあるが彼がいなければ成り立っていないものであり、何よりも
私の愛するあのお店の雰囲気というものは、マスターの影響が多分に大きいこ
とは皆さんの話から察するに想像に難くない。
何を勘違いしていたのか、私もまた「彼の」洋服屋のお客に違いないのに。
冒頭の「仏」に「成」らしめるというのは、言い換えれば「その人の死によっ
て現世の私たちが何かしらの変化に出会う」ことである。ならば、私も、小さ
な変化ではあるがこの「ブログ」を始めるという行為を通して故人の死に関
わっていきたい、と思った。皆が愛するあの「空間」を作り上げた人の「成仏」
に微量ながら接点を持ちたい、と思った。
私はこのブログの始まりを、このように意義付けようと思う。
彼が作り上げた「空間」を愛し、そして自分もいつかその様な空間を作れるよ
うな人間になれることを願って・・・
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
を「仏」に「成」らしめることを指すらしい。私に懇意にしてくださる、ある
浄土真宗の住職の話である。
過日、とある洋服屋のマスターが逝去された。といっても、私がそのマスター
と直接話をさせてもらったのは後にも先にも1回きりで、私にとってその人は、
いつもお世話になっているママさんのご主人であり、3代目のご尊父であると
いう認識でしかなかった。 しかし、私が今通いつめているその洋服屋は、当た
り前のことではあるが彼がいなければ成り立っていないものであり、何よりも
私の愛するあのお店の雰囲気というものは、マスターの影響が多分に大きいこ
とは皆さんの話から察するに想像に難くない。
何を勘違いしていたのか、私もまた「彼の」洋服屋のお客に違いないのに。
冒頭の「仏」に「成」らしめるというのは、言い換えれば「その人の死によっ
て現世の私たちが何かしらの変化に出会う」ことである。ならば、私も、小さ
な変化ではあるがこの「ブログ」を始めるという行為を通して故人の死に関
わっていきたい、と思った。皆が愛するあの「空間」を作り上げた人の「成仏」
に微量ながら接点を持ちたい、と思った。
私はこのブログの始まりを、このように意義付けようと思う。
彼が作り上げた「空間」を愛し、そして自分もいつかその様な空間を作れるよ
うな人間になれることを願って・・・
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。