生きていると

知らず知らずのうちに

「拘りの数字」というものができてしまう

私の場合は

家族や推しの誕生日

学生時代の学籍番号

職場の社員番号

そして、LDHの会員番号ラブラブ

 

5/6もその数字のひとつ

ゆせの誕生日!

なのだが・・・

 

5/6がゆせのBDと知った瞬間

そのことよりも

パッと頭に閃いたことがある

それは

小学5年から中学3年まで同じ学校だった友達のこと

 

彼女は函館から転校してきた

私よりはかなり大人びた女子で

小学5年生で既にいつもいい香りを纏っていた

 

私は顔に似合わず

優しい性格で、特に困っている人は放っておけない

小学生の時も、転校してきた子が

不安気な様子で独りで居たりすると

必ず私から声をかけていた

「可哀想」だからという理由だったらしい

 

優しいと言うよりも

おせっかいなだけだろうけれど

私の母や姉だけ゜は、私が転校生に声をかけずにいられないタイプだと

知ってくれていた

 

函館から来た彼女も同様に

すぐに声をかけて「仲良し」となった

彼女は手芸とイラストが得意で

ゆるいくせっ毛があり

自らをコッカースパニエルみたいだと言っていた

 

彼女の父親は私の父と同業で

官舎の場所も知っていたので

よく遊びに行ったものだ

そして彼女が高校入学のタイミングで

父親が広島の島に転勤となった為

お別れすることとなってしまった

 

彼女は、出会ってから転勤で別れるまで

毎年私の誕生日に

手編みや手縫いの物を何かしら作っては

プレゼントしてくれていた

 

高校で別れてからも

週に1.2回は手紙のやり取りを続けていた

私が大学進学して、寮生活を始め

彼女は東京の神田外語学院に進み

東京の人となった頃

 

なんとなく手紙のやり取りに意味を感じなくなり

自然消滅となってしまった

 

私達は親友だったキラキラ

と思っていたのは、どうやら私だけだったと

今では理解している

 

私よりも随分と大人びていた彼女には

きっと私では物足りなかったのだろう

中学でクラスが分かれてから

彼女が仲良くしていた同級生は

彼女と同じく大人びていて

マンガやイラストが好きな「オタク」的な人だった

 

時々私が彼女達と一緒に居る時は

常に彼女らに

少し、ほんの少し上から目線で

「ガキっぽい」と見下されているような感覚を覚えたものだ

 

それでも彼女は私の本好きに付き合って

毎日のように学校の帰り道に

行きつけの本屋につき合ってくれていた

 

彼女にとって私は

決して親友ではなかったであろう

でも、誕生日のプレゼントや頻繁な手紙のやりとりに

何年も付き合ってくれていたのは

なんでだろう??

 

もしかしたら、転校してきたあの日

真っ先に声をかけてきた

お人好しでお節介な私に

感謝の想いが少し残っていたのかもしれない

 

私にとって

5/6はそんな彼女の誕生日

決して忘れられない数字である

ガキっぽくて、おばかで

何事にも上手く立ち回るなんてことができなかった私

彼女とのことは

なんとなく人生で初めての

人間関係での挫折だったような

そんな気がする

 

社会人になるまで

彼女からの大量の手紙を持っていたのだけれど

ある日、彼女にとって

私は無意味な存在だったんだろうな、と

改めて気づいた時に

全て破棄してしまった

 

今、彼女はどうしているだろうか

生きているとしたら

幸せだろうか

案外普通のおばあちゃんをしているかも

 

彼女と再会する機会があれば

あの頃、私をどう思っていたのか

是非尋ねてみたいものだ