先日実家に帰ったら、母が
「温泉入りたい」
と言っている。
「じゃぁ誰か誘って温泉行けばいいやん。」
と伝えた。
そしたら母から、
「でも今コロナやし。温泉まで運転できないし。一緒に行きたい
と思ってる妹は旦那さんの病気の事で忙しそうやし」
と出来ない理由のオンパレード。
「行きたくないのかなぁ?」
と思えるほど。
母が何故そう言うんだろうと考えてみた。
母は行きたいのに行っていない自分を責めてるのかな?
だから私が行けばいいやんと言った言葉が、行こうとして
いない自分を責められた様に感じたのかな?
だから行けない理由を伝える事で自分を守っているのかな?
でもよーく考えてみたら、母には行けない事が前提として
あるような気がする。
行けるようにするにはどうすれば良いかが無い様な気がする。
行く事を望むことが駄目な事になっているような気がする。
自分の望みを叶えることが、駄目な事のような気がする。
自分を幸せにすることが出来ないような気がする。
母の話を聞きながら、母の言動を聞きながら、
何故そうするのかなと考えてみたら、
私は母の事をこのように捉えて、
自分も同じようにしてきたんだとわかった。
だから、やりたいなぁと思うと同時に、その感情を否定
する様な思考が働き、やれなくても大丈夫に変換されている。
やりたい気持ちが相当強いと、やれなかった悔しさも相当強い。
わたしはその悔しさを感じることが辛くて、
やりたい気持ちを出すことを抑えていた自分に気づいた。
やれなかった悔しさを感じなくて済むように。
それは浮き沈みが少なくて、安全な道である
そう思っているように感じた
でもそれは、一方のやれたときの嬉しい気持ちを
奪っていることにも気づいた。
やれたときの感動を感じきれない、自分を思いっきり
喜ばせられていないことに気づいた。
これは子供の頃の自分を守る手段。
やりたいことがやれるわけでは無かったときの防御反応。
でも今は大人。
やりたいと思ったら、自分で出来る。
お金も自分で稼げる。
そう思ったら、やりたい気持ちは大事にして、感じて、
どうしたら叶えられるかを考えよう。
もっと自分を喜ばせてあげよう。
最大級の喜びをあげたいと思う。
もちろん、出来ない事もあると思うけど、その時は悔しい
思いをしてもいい。
悔しさを感じることが怖く無くなってきた
悔しさは生きている証拠。
自分のありのままの感情を感じることが自分の為。
自分の幸せだから。
そう思えると、どんな感情も大事にしたいと思えた。
やりたいなぁと思った気持ちを大事にしようと思った。