教会のクリスマス会(教会と我が家のスタンス) | しららさんちの日常

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ミニチュアダックスそら(2021年死去)とトイプードルのアクア(2023年死去)、猫の清麿(2014年死去)と小雪、2012年に618gの超低出生体重児で生まれた子供との日常の記録

日曜日、みぃは、教会の子どものクリスマス会でハンドベルの演奏と歌を歌ってきました。
ひいらぎ飾ろう~♪ってやつ。

夫と私も出番のある一部だけ、見に行ってきましたよ。

まぁ、ハンドベルは…みぃとみぃと同じくらいの子の二人は、大人が後ろで手を添えてやってたって感じでしたけどもね。
歌は可愛かったです(←親バカ!)

この教会、私が子どもの頃、歩いて…2軒先の角を曲がったら3軒目ぐらいのところにありました。
あ、カトリックではなく、プロテスタントの一派のバプテストの教会です。
今は歩いて15分ぐらいの所に移転してます。
あの近所だった頃のところは借地だったらしく、今ところは土地も教会の持ちものだそうです。

ちなみに、母達兄弟の実家(つまり今の隣の伯母や母のいる家、裏には現在の伯父夫婦の家もある)と超~近所だったのもあり、ワタクシも含め、母方のいとこ達は皆、幼い子どもの頃、そこの日曜学校にいっておりました。

と、いうのも、
母方の祖母は、仏教よりキリスト教寄りだったから。洗礼も受けてないし、毎週礼拝にいってたわけではなかったので、寄りっていう言い方しか出来ないんだけど、生育歴がそうならせてたんだろうなぁという感じ。
祖母は、両親(私の曾祖父母)が、英語が堪能で欧米の方々との交流もよくあったそうで、大使の方とかも来てたそうだ。ピアノやバイオリンの音の響く生活(曾祖母のバイオリンはともかく…って、曾祖母も音楽教師の資格は取ってたって言ってたな~。曾祖父のピアノは嗜みなんてレベルではなくピアノが仕事の一部を形成してましたので…。)をしてたときいています。そして、母として多大な影響を与えただろう曾祖母も、ミッション系女学校〔最近駅伝で有名なところの前身…〕出身。
そんな生育歴を辿ってた祖母は、日本にいながら、仏教よりキリスト教が身近という幼少期を過ごしていたようなのです。
(そう、祖母はお嬢様だったのだ、そこそこの。ただ商家ではなく士族のなので、母方に商売の才は…。伯母の幼少期までは乳母がいたそうですが、伯父や母の時はいません←つまりこの間に落ちぶれた。理由はお察し…)。

小学校3年生の時に、その祖母が亡くなったんですが、その葬式はキリスト教式でして、日曜学校に行ってた教会の牧師さんの元で執り行われました。
(私の人生初の葬式体験は、このキリスト教式です。まぁ、椅子なので足痺れないし、讚美歌も主体として歌うので、仏教のお経をきくだけよりは子どもにも優しいお葬式だったかも…)。
そのお葬式で歌った讚美歌の1つは、祖母の母である曾祖母が好んだ讚美歌だったともきいています。

その後は、教会が近所から移転したのと、伯父のところも引っ越し、うちも本格的に山形に引っ越ししてたのもあって、いとこの中でも一番上だった伯母のところの従姉以外は、教会からは遠ざかりました。

それと、ぶっちゃけ、母になってわかることがひとつ。日曜学校に行ってた理由。
祖母も母も伯母(伯父の妻の方)も、伯母も誰も大人が一緒に礼拝にいってたっていう記憶がないの。
あ、近所付き合いはあったのもあったけど、葬式も頼めたんだから、記憶がないだけで、他のバザーやらの手伝いとかやってたのかもしれないが、ともかく日曜は大人は誰も行ってなかったと思う…いってても、祖母だけだったと思う。
で、思うんだが、日曜学校に行かせたのは、その間、ちびどものいない時間を確保する、どっか連れてけ退屈コールを避けるという意図もあったんじゃないかなって。
超近所なので、昔だし、子どもだけ置いていって(なんなら子どもだけでもok)勝手に帰ってこいで問題なかったはずだしね。
でも、遠くなったら、ちょっと行ってらっしゃいじゃなくなったはずだからなぁ。

教会から遠ざかったのは、引っ越しや祖母の死と、教会が遠くなったタイミングとかの複合要因の自然消滅かな…。明確な記憶ないけど。

でも、今もいとこの中でただひとり、一番上の従姉だけは、移転後も教会に一人で行き(私達と10歳前後違うんでね、大きかったわけですよ)、大人になって洗礼も受け、日曜にはなるべく教会に行っています。

で、みぃはその従姉になついてるのだよ。

その流れで、みぃも従姉が行くときに、行かないときもあるけれど、日曜学校に行ったりしてるのである。

日曜、教会にいって、昼御飯も食べ、場合によってはカレーがあまれば(昼御飯は決まってカレーです)持ち帰りしてくる(持ち帰りの話は従姉に頼んでるんだけど、みぃがうちの分は荷物にいれて帰ってくる)。
教会にいくようになってから、日曜の夜のカレー率高いです。持ち帰りがなくとも、カレー好きな夫がカレーを期待してるので、カレーになりがち。
みぃも昼も夜もカレーでよいという子。夫もそうなので、前から思うが、かなり味覚は夫寄り…。

みぃが日曜学校に行くことについては、私は別にキリスト教徒というわけではないけど、どうぞ~です。

自分が幼少期に日曜学校っていってたってのもあるんだけど、私の個人的な経験からですが、
日曜学校に行ってて、キリスト教というものの基礎知識をもつのは、このグローバル社会でマイナスにはならないと思うから。西洋の文化を理解するのに限ることだけど。

イギリス行った時も役立ってた気がします。
英語やヨーロッパの言語には、日本のことわざだって、実は仏教からのものがあるように、西洋のことわざや例え話やらにキリスト教由来のものとか、普通に存在するからね。無神論者と言ってても、そんな感じで考え方や文化のベースに溶け込んでたりするわけで。日本人に仏教や八百万の神の感覚がどこかにあるようにね。

学問的な専門的なことをいえば、史学科の西洋史(古代ローマ)専攻したとき、紙の修復を学ぶときにヨーロッパ写本を基本とした西洋美術史を学んだとき、役たった。
まぁ、それは私の選択した学問がたまたまだったと言われればそうだが…。
中世以降のヨーロッパ美術の古典の写本が、教会主体な聖書やら祈祷書なことは当然なことなので(紙は羊皮紙なので貴重。読み書きは知識階級のみのものな時代)、絵画もね。
なので、たんに、西洋の古典美術に親しむだけでも、キリスト教と…あとは古代ギリシャローマ神話は知ってたら、たいていの題材がわかるから、古典は。

あ。そうそう、ギリシャローマの女神像けっこうあるでしょ、女性の裸婦像はね、ギリシャローマの女神…と、言い切れば(笑)キリスト教の戒律下でも許されたのだよ~。
そりゃ、ギリシャローマの女神の絵画の愛好家は減らないよね~、収集家もいたよね~、残るよね~、ハッハッハッハ。

脱線脱線。
…コホン。

えー、そんなこんなで、従姉が行く時にみぃが行きたがれば、日曜学校に行かせてる私ですが…。
私はついていく気はなく、行ったことはなかった。

実は、むかーし、身体のことで悩んでて救いを求め、大人になってから一度行ったことがあったんだけど…、゛私には゛(←ここ強調)全く合わないし、救いにはならんな~って思って一度でやめた記憶があったんだよー。

なので、連れて行ってくれるなら、どうぞって感じでした。

だが、
今回のクリスマス会でハンドベルをやるということなった。先週リハーサルがあったが、従姉が行けない日だったのだ。
かといって、1年生のちびすけを一人で行かせられる距離ではない(車通りの多い街道も横切るし)ので、仕方なくいつぶりだよ~という状態の私が教会に連れていくということになったんだが…。

まず、朝から、もう、係に立候補してくるなよ…であった(-_-;)
実はみぃ自身が、今日は教会行きたくないとリハーサルの日に駄々こねたの。だけど、翌週本番な上に、その前葬式、その前熱で行ってない状態だったのー。
行きたい時にだけ行きたいっていうなら、いいかい、行事で何かやるって次からはいわないのっ!とグズグズいってる、みぃに思わず説教。
だってこっちだって、別に行きたくないのに連れて行かなきゃならなくなった、なんだからさぁ…(-""-;)

で、行って、どうだったかというと…。
みぃは楽しそうでしたが、私は…。

注:個人的な考えと感覚を述べたものです。特定の宗教を否定するものでもなく、信じてる方を否定するものでもありませんよ~。

まぁ、一言でいえば、教義が自分に合わなすぎて非常に居心地悪かった。
神…というか、大いなる意志というか、導きというか、感知出来ない何か、は信じてますが、
やはりキリスト教は私の道ではないなーと再確認した気分。

それに、知らない人(牧師さんだけは知ってるが…すっごくお歳を召してました…)ばかりとルールの中で、とっても気疲れもしたので、
帰ってきてグッタリ具合が半端なかったです。

なので、クリスマス会本番も、みぃの出番の一部終わったところで、今年も従姉に任せて夫とともに退散したのでした。
(去年はみぃとてんこだけで、従姉と子どもクリスマス会に行ったのだよ)

夫も高校がミッション系ではあったんだけど、
教義には納得いかないらしく…、帰り道に愚痴られた(←つまり夫も合わないわけ)ので、夫に、行ってねーもきかないですわ。

みぃは、その後、楽しかったー♪って帰ってきたので、まぁ今のまま、子ども時代の日曜学校は好きにすればよいかなと思ってはいる。
しかも、今も行きたいときに行きたい、行きたくないときには行きたくない、ぐらいなので、
そのうちみぃも、キリスト教とは違う道に進んでいくのかもしれないな~とも思わなくもない。
反面、キリスト教を選んだら、それはそれ。それがみぃに合った道だということだろうから、親兄弟(みぃだと従兄姉)に強要しなきゃ、それでいけばよいとも思ってはいるのである。