5年前ぐらいから、スピリチュアルや自己啓発本で意識という言葉をよく見るようになった。

意識っていう言葉は大きく2つに分類されている。

意識不明とかで使われる時と方向性や自分の在り方みたいな表現で使われる。

私が話したいのは後者の方です。

意識(後者のニュアンス)は本やセミナー等で使われる時、何故かオカルト的な見方をされる時が多々ある。

「何がどうなって、そうなってんの?」

この意識(顕在意識)というのは日常的にとか長い期間に人間自らが自分という存在の希望の形を設定してそれに近づくための指標みたいなものです。

「身なりを奇麗にするように意識する」

「食事は少なめにすることを意識する」等

自分の行動原理のプランニングになる。

唯、人間は行動的にプランニングをし行動することは出来ても、精神的なプランニングに関してはなかなか出来ない。

精神的なプランニングと言われても中々ピンと来ないが、簡単に言うとメンタルの使い方の事である。

人間は朝起きて行動原理のプランニングの通り身体を動かす。でもその時に、メンタルのプランニングが出来ていなければ(精神的な目標)行動が伴わない。

それではなりたい自分から遠ざかる事になる、せっかく決めた目標がメンタルのプランニングができてなかったせいでバランスを失い不安定なメンタルな波をつくり、目標に近づいたり遠ざかったりを繰り返し心が疲れ抜け出すのが困難なバットスパイラルに巻き込まれてしまう。

では、なにがどうなってそうなるか?

それは、人間の欲に限りがないから、物理的にも精神的にも満たされようとするからだ。

当たり前の事である。人間だから。

解決方法は一つ

自分は運がいい!ラッキーだ!(池田)

という意識を持つことである。

ヒトによく訪れるアンラッキーな事、それを食い止める方法は一切無い、なぜならアンラッキーな事が無いとラッキーな事もない、逆に言えばラッキーな事をつくるためにアンラッキーな事があると思ったほうが楽である。

色んな 道 色んな 教え

全てに入っている科目、それはバランスである。

全てはバランス、楽ありゃ苦もある、でもその苦のレベルを下げるのは楽のレベルをあげる。

何を言ってんの?って話だが、自分がラッキーだと思う事で、訪れるアンラッキーな事をバランスのために必要な課題だと思えば世界が変わる。

自分の足を引っ張るのは自分。

アンラッキーな事が起きて病むって言うのは自分に可哀想と思う。

次のラッキーのための助走みたいなものと思えばいい。

初めから持ってなかったモノを欲しがり、それを持っていない事を不幸に思う、これがバットスパイラルの入口になっている。

なりたい!欲しい!

では無く 

なる!持つ!という決定的なものに意識を変えると人生がロールプレイングゲームみたいになってくるので楽しめるはず。

そして、今まで何の変哲もない退屈な人生がその瞬間に変わる、変えられる。

PMAの精神でハードコアな映画みたいな人生を作ろう!!

世界を作っているのは自分この瞬間から変えられる!!