木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)と桜 | 三木けえオフィシャルブログ「実行力。維新」Powered by Ameba

木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)と桜

 皆さま、こんにちは!


 三田は今が桜が満開です。昨日の夜はお花見に行って来ました!


 桜は日本人の心に響く一番の花であると思いますが、私は桜を見ると、桜の花の象徴、木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)を思い出します。


 姫とは比賣又は毘売と書きますが、ここでは分りやすく姫と書きます。


 木花咲耶姫は古事記、日本書紀に出てくる日本の女神で、お父さんが大山津見神(山の神様)です。


 名前の通り、見目麗しい、華やかなお姫様で、天照大神の孫、邇邇芸命(ニニギノミコト)が天孫降臨してきて、木花咲耶姫を見て、一目惚れしてしまいます。


 そして木花咲耶姫に求婚しますが、姫は父親の大山津見神に聞いてくれるように言います。


 ニニギノ命は大山津見神に「木花咲耶姫と結婚したいのです。」と求婚しに行きます。


 大山津見神は大変喜んで、木花咲耶姫に沢山のお祝いの品を持たせ、そして姉の石長姫(イワナガヒメ)も一緒に嫁がせます。(昔は姉妹が同時に嫁ぐ姉妹婚はくよくあることだったそうです)


 しかし木花咲耶姫が容姿端麗であったのとは違って、お姉さんの石長姫は大変醜かったそうです。


 ニニギノ命はその醜さに驚き怖れ、その日のうちに石長姫を実家にお返しになってしまいます。そしてその晩、木花咲耶姫だけを留め置かれ、妻となさったのです。


 その晩、大山津見神は、一人送り返された石長姫を見て、大いに恥じ、「私が二人の娘を並べて差し出したのは、石長姫を傍に置けば、天津神(アマツカミ)の御子の命は、雪が降り、風が吹いたとしても、常に石の様に変わらず動きませんように、また木花咲耶姫を傍に置けば、木の花が栄えるように栄えますようにと、願をかけて送り出したのです。しかし石長姫をこのように送り返して来られたのですから、今後天皇の命は、木の花様にもろくはかないものとなるでしょう。」と言いました。


 そしてこの時から、天皇の命は限りがあるものになってしまったと言われています。


 その後しばらく経って、木花咲耶姫は妊娠しました。そしてニニギノ命に「私は妊娠しました。産むにあたりあなた様に黙って産むべきではないと思って、お伝えしました。」と言いました。


 しかし、ニニギノ命は「姫よ、たった一夜のことで妊娠したと言うのか。きっとその子供は私の子供ではなく、国津神の子であろう。」と疑いました。


 そこで木花咲耶姫は「私の子供がもし国津神の子であるならば、無事に出産することはないでしょう。しかしもし天津神の子(あなたの子)であるならば、無事に出産するでしょう。」と言って、産屋の入口を土で塗り、出入口を塞いで、その中で自ら産屋に火を放ち、その燃え盛る炎の中で出産し、無事に三人の御子をお産みになります。


 そしてその子供が海幸、山幸の神話に繋がって、神武天皇まで続いて行きます。


 木花咲耶姫は先に宣言をして、実行をします。あなたの子でなかったら、焼け死ぬ、あなたの子なら無事出産する、そう言って火を放ちますが、このことをウケヒ(誓約)と言います。


 その後の記述に木花咲耶姫や石長姫のことは見当たりません。


 自らの命を掛けて潔白を証明した、木花咲耶姫ですが、なんとも思い切りが良いというか、潔いというか、姫にしておくにはもったいないというか、強いですね。


 しかし些か、気が短い様な印象も受けてしまいます。


 そして石長姫ですが、何の情報もありません。一言も発していないのか、こう言った、ああ言ったという記述もありません。想像でしかありませんが、無口なのでしょう。動じない性格なのかもしれませんね。


 姉妹は容姿が対照的であったように、性格も対象的であったのかもしれません。


 人間には、ここ一番という場面では、命を省みない潔さと、日常ではじっと我慢し粘り強くあるという忍耐力は、どちらも大切な性質です。


 ニニギノ命は、木花咲耶姫の美しさを好みましたが、これは誰が見ても見えるもの。石長姫の醜さ、醜いは、見にくいに通じ、すぐに結果の出ないことや忍耐力、そして見(え)にくい心などを表し、ニニギノ命は、それらのことを重視できなかったのかもしれません。


 ここに男性性への警告と、女性性への忠告を感じ取ることができます。木花咲耶姫と石長姫は二人で一つ、大切な対なのですね。


 桜の季節、日本人は皆心がそわそわとして、桜の美しい様を見ようと致します。咲いている様も、散って行く様も美しい桜の花に、心を奪われます。


 一瞬で咲いて潔く散って行く、そんな桜は日本人の心に切ないほどの情感を呼び起こします。


 靖国神社の桜も美しく、英霊を護られる木花咲耶姫の様です。


 桜は美しいと鑑賞するだけではなく、発しているメッセージを受け取ることを願っている様に感じます。


 「私は散って行くけれど、見にくい心も忘れないように。潔さと同時に粘り強さも大切にするように。」


 桜が美しく咲いて、美しく散って行くのは、石の様に変わらぬ堅固な永遠性の大切さを思い出させる為なのかもしれませんね。


 君が代にさざれ石が出てくるのは、こういった事情も含めてのことなのかと、勝手に想像しています。


 日本の国家よ弥栄なれ。



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