こんばんは、ぼなぱるとです( ・ω・)ノ

以下、もめみさんのコメントに対するお答えなんですが、自分の自然保護やニホンミツバチ保護への考えの基礎というかスタンスの説明になってしまいましたので、こちらの本文にも転載させてください


『こんばんは。自分はスズメバチの駆除業を8年程やって1000件以上の駆除で100万匹以上の蜂達の命を奪ってきました。

これから繁栄し自分たちの子孫を残していこうとする沢山の命を殺して来た経験から命については色々考える所がありました。

日々、何らかの命をいただいて命を繋ぐ事がこの世の中の理(とこわり)であり、

大自然の中のあらゆる命がこの理の宿命から逃れる事はできません。

そんな中で自分が(勝手に)見いだしたのが「意味」と「道理」です←未熟な自己満足に近いへ理屈かもです。


生き物は皆「生きたい」です。子孫を残し繁栄したいです。

でも、大自然には「弱肉強食」の原理原則があり、その結果には全て無条件に従わなければなりません。

そんな厳しいルールの中、皆それぞれに精一杯生きているわけですが、「頑張って生きる」という「正当な行為」を途中で奪われる哀しみに『意味』が欲しいのです。

捕食され他の生き物の生きる糧となる

これが『意味』の代表格です。この意味には『道理』が通っているので殺された生き物達は納得せざるを得ないし納得できます(成仏?)。

駆除依頼を受け住人の安全な生活を回復する為にスズメバチ達を殺し安全を回復する、

これも「今の世の中では」道理なので、

自分は100万匹以上のスズメバチ達の怨霊に苦しめられる事もありません。

これが道楽(遊び)や八つ当たりで生き物を殺めたなら、古今東西の様々な古典や記録、伝承などにあるように悲惨な罰を受け既にこの世にいないでしょう。

生き物の命は尊く儚い、

しかし、人間という圧倒的有利な立場にいるからこそ、

他の生き物、特に身近だったり関心があったりする命を慈しむ事が出来る人間の事実上の特権を自分なりに再認識し、日々ニホンミツバチ達の保護飼育に使命感を勝手に持って頑張ってます。

なんだか自己満足な自分の意見ですみません。


日本蜜蜂は、今回のケースでは不思議な事に、行き場を失ったと思われる「敵」の西洋蜜蜂を仲間として受け入れてしまってるみたいですね。

本当に不思議なレアケースだと思います。意図的にサナギや幼虫の段階で巣に入れて仲間として活動させる資料はいくつか読んだ記憶があるのですが、

外勤にまで日齢の進んだ他種の働き蜂を仲間として受け入れるなんて…日本蜜蜂は本当に日本人っぽい処世術ですね。 』

以上です。

書いてて自分の頭の中の整理にも役立ちました。もめみさん、有り難うございました。


ノシ