2024年5月25日土曜日の
朝早くに
母親が息を引き取った
今年に入って
急に心臓の事で入院には
なったけど
そこまで深刻ではなく
5月の再入院も
これからのお薬を決める為の
検査入院みたいなもの。
そんな風に聞いていた
聞いてはいたけど
だんだんと痩せ細って
弱っていく母を見て
なんとなく不安はあった
もっと母に会いに行くべきだと
思いながら
私はなかなか
実家に
行く気になれなかった
GWも
母からLINEがあり
キムチうどんが食べたいから
一緒に食べようと
誘われて
1日だけ
実家に行っただけだった
母の日も
何も用事はないので
母に
会いに行こうかなって
思いつつ
雨だしなぁ
なんてダラダラして
次の日から入院が決まってたから
母に
準備できた?って
LINEしたら
「準備出来たよ。とりあえず行ってくるわ」
と返事がきて
これが母との
最後のやりとりになった
10日後
違う病気が
見つかったとかで
転院することになり
転院先の先生の話を
聞きに行った私
血液のガンかもしれない
心臓の方もかなり弱っていて
半年持つかどうかですと
話されていたのを
どこか
俯瞰しながら聞いていて
悲しみとかより
一緒に話を聞いていた
父親や妹が
同じ事を聞いたり
色々質問するのを
どこか他人事みたいな気持ちで
ぼんやり見聞きしていた
その時の母は
コロナに感染していたのもあって
そのまま私達家族と話す事もなく
病室に連れていかれて
私は
顔が見たい気持ちと
弱っていく母を見たくない気持ちの
狭間にいたので
コロナの隔離期間が
終わったら
すぐに会いに行けばいいかと
ぼんやり考えていた
家に帰ってから
早くコロナの隔離が終わったら
いいのにね
って
LINEを入れたけど
それは既読になることなく
次の次の日の朝早く
母は亡くなった
父からの連絡を受けて
すぐに駆けつけたけど
私と娘が到着する
30分前くらいに
母は息をひきとっていた
まだ生きているみたいに
目は開いていたし
手を繋いでも
温もりがあった
足をなで
手を握り
顔を指でなぞる
肌が綺麗だった母の
すべすべの肌だった
肉体を感じたくて
まだ温かい身体を
いつまでも
さわって
嗚咽して泣いた
謝ることが沢山あったのに
感謝さえ伝えていないのに
人の事ばかり考えて
自分の事は遠慮気味に
いつも後まわしにする母は
私達に迷惑かけるとでも思ったんだろうか
あっという間に
天国に旅立っていった
去年の夏
私が家を追い出され
実家にいったものの
母との間に確執がうまれ
会話が出来なくなって
去年の秋頃は
いっさいのやりとりが
なかった
その時
普段通りに
話せる仲だったのなら
病院についていったり
色々手伝える事は
あったのに
お正月になるまで
私は意地をはって
全く連絡をしなかった
母は私の気持ちをわかってくれないんだ
と
頑なに
壁を作って
自分の殻に閉じこもっていた
母に
心配ばかりかけていて
私は何もしてあげられなかった
母が亡くなってから
毎日色々な感情の波が襲ってくる
後悔や悲しみが
今は深く
なぜ母が死ななくちゃいけないのか?
答えのない問題を
永遠考えている