取りあえず、ネット不能状況でした。
できたのは、携帯電話でのチェックだけでした。
で、冬眠を解除しようかなぁ~
なんて思ったりもしているのですが、何となく、やる気も無くなってしまいました。
多分ですが、現在の方向では、絶対にこの日本は住み易い社会にはならないとKは思うのですが、なかなか突破口が見つからないというのが最大の問題点だろうと思うのです。
小泉総理の個人批判とか、一部の権力者や成功者を失脚させる事では、一般生活者や労働者の暮らしは良くならないのですが、大多数の生活者は「自分の苦しみを一時的に忘れるために、憎しみの対象を見つけて、そこに憎しみを集中させる事によって、不満のガス抜きしながら、我慢の日々を送っている。」という気がします。
ホリエモンが失脚したって、村上氏が失脚したって、日銀総裁が失脚したって「他人の不幸は我が身の幸せ」的な一時的な快感を感じるだけで、社会構造が変化しなければ、首のすげ替えが行われるだけで、生活者の生活実態は全く改善しないのですが『そんな簡単な事に、ほとんどの人が気が付かないのか?』それとも『気が付いていても、改善不可能と諦めてしまっているのか?』どちらにしても、他人が失脚するような出来事ならば、喜ぶ反応の方が圧倒的に多いような『思考停止的スキャンダル志向』が最大の問題だろうと思う。
911自作自演に代表される陰謀論も、多分は、現実的思考ではぶち抜けそうもない絶望感から、一打逆転の大博打的な考えで人気があるという側面もある気がする。
だけど、陰謀論は陰謀論でしかない。仮に正しいのだとしても、決定的な証拠の提示ができなければ、決して、体制の変化は望めないのだろう。これも、一種のスキャンダルネタであり、「現実逃避」の一つなのだろうと思う。
日本は法治国家である。現実的に社会体制を変えるなら「法的手段」によって、多数派形成を行うのが現実的だろうと思う。
http://www.office-onoduka.com/word_kanri.html
を良く読んでほしい。
小野塚事務所の管理監督者とは?という項目である。
ここに、日本の問題点を解決する鍵がある。
「レストラン「ビュッフェ」事件」(大阪地裁 昭和61.7.30)
とか
「静岡銀行事件」(静岡地裁決 昭和53.3.28)
とか
「サンド事件」(大阪地裁 昭和57.7.12)
をもっとクローズアップしなければいけない。
前から、Kは主張しているが、現場の責任者と管理者は明確に区別すべきなのだろうと思う。
管理者というのは「勤務時間が自由で、現業を行わない者」なのである。「サービス残業を支払わなくて良い役職」ではなくて「勤務時間など無い(決まっていない)」のである。少なくとも「自分が現場で頑張らなくては(タダ働きをしなければ)現場が回らない」という場合で、労働時間が8時間を超える場合は「自由に職員を増やす」等の解決策を実施できる立場であるはずである。
人事権も現場での自由裁量権もない「店長・支店長・現場監督」と言った立場の「現場の責任者」というのは、労働者でしかないのだろうと思う。
だから、その辺の職種の人たちも含めて団結し、労働権・生活権・生存権・労働条件・生活条件などを想像し、提案し、構築していかなければ、労働者階級の幸福な社会は永久に実現しないのだろうと思う。
まずは、一日8時間の労働の確認、サービス残業の是正、休暇所得の確認、その上で、労働力不足ならば、雇用人数の確保・是正と適正賃金の支給確認。不当解雇等の監視、更には、(社会的に必要な企業ならば)倒産がし難い社会の構築などを考えていくべきなのである。
それは逆に言えば「社会的にはなくても良い(困らない)、金儲けのためだけの企業の否定」とか「社会は社会構成員による、社会構成員のための、社会共同体造りによって成り立っている」という「道徳的価値観」の形成に役立ち、自由は「常にある」という自己中心的思考への偏りを是正させ、自由な部分と社会貢献という部分のバランス感覚を育てるのだろうと思う。