日本では2016年4月に公開されたイギリス映画
「アイヒマン・ショー」を観ました!!

DVDレンタルが開始されて初めて知った作品。
レビューの数は比較的少ないものの、
高評価をしている人が多かったので借りてみましたグッド!

ホロコーストを題材にした映画と言うと
ドイツやポーランド、フランスなどの映画が多いイメージなんですが、
この映画はイギリスが制作しているんですね。

強制収容所解放70周年を記念して制作された作品で、
1961年に世界37カ国で放送され大反響をよんだ“世紀の裁判”
制作・放映の舞台裏を描いた、ノンフィクション映画です。


ネット上で調べた限りだと、レイティングの情報が分かりませんでしたが、
この映画では露骨な映像にもモザイク処理がされておらず、
生々しい死体の映像なども多々あるので、お子様のいる方や、
そういう描写が苦手な方は要注意です
注意


















1961年、イスラエルのエルサレムで、
歴史的な裁判が開かれようとしていた。

被告はアドルフ・アイヒマン。第二次世界大戦下の
ナチスの親衛隊の将校であり、“ユダヤ人問題の最終的解決"
つまりナチスによるユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)
推進した責任者
である。

15年による逃亡生活の果て、アルゼンチンで身柄を拘束されたアイヒマンは、
イスラエルに移送されエルサレムの法廷で裁かれることになった。
このテレビ放映権を獲得したのは、アメリカの若き敏腕プロデューサー、
ミルトン・フルックマン


フルックマンは強い使命感に駆られていたが、悪名高きナチスの戦争犯罪人
素顔を暴くためには、一流のスタッフが必要だった。

政治の壁、技術的な問題、さらにはナチの残党による脅迫など
さまざまな壁を乗り越え、撮影隊は裁判の初日を迎えるのだが・・・
という感じの物語。


















ホロコーストにまつわる映画としては、とても地味な印象です。
法廷を舞台としていますが、いわゆる法廷サスペンスのような
ドラマティックな演出はありません。
可能な限り当時放送された実際の映像を使用しているため、
リアリティがある反面、全体的に単調な印象になっています。
なので、単純に面白いか面白くないかと聞かれたら、
「面白いとは言えないかなはてなマークという感じ
ですが、
良い映画かはてなマークと聞かれれば、間違いなく良い映画だと思う
そんな映画でした。

「普通の人間だったはずのアイヒマンが、
どうして怪物のようになってしまったのかはてなマーク
という、
レオ・フルヴィッツ(劇中のTV番組の監督)の疑問が、
この映画の最大のテーマだと思います。


レオ・フルヴィッツ
アイヒマンも家族を愛する普通の人間だったはずだ。
どうして平凡だった男が何千人もの子供たちを死に追いやる人間に
変わってしまったのかはてなマーク
その事をカメラで捉えて世界に発信し、
“状況によっては誰もがファシストになり得る”という事を伝えたい。」



冷徹さを保っているアイヒマンが、裁判の中で人間的な表情を見せるのを
捉えようと、アイヒマンのアップを撮り続けるレオ・フルヴィッツ
数多くのユダヤ人達の証言や、惨殺された人たちの映像を見ても
氷のような表情を崩さないアイヒマンが、本当に人間らしい一面を
見せるのかはてなマークはてなマーク
というのが、この映画の大きな見所の一つですグッド!

この裁判が全世界に放送されるまで、人々は、ヒトラーやナチスの事を
「普通の人間ではなく元々怪物的な人達だったのだ」と考えていたようです。
劇中の老ユダヤ人も「私は絶対にナチスのような怪物にはならないビックリマーク
と言い切りますが、レオ・フルヴィッツ
「元から怪物だった人間などいないし、誰もが怪物になり得る」
という
考えを貫きます。

この映画を観ながら、以前紹介したアモス・ギタイ監督
イスラエル映画「ケドマ 戦禍の起源」を思い出しました。
第二次世界大戦後に、迫害を生き延びたユダヤ人達がパレスチナに渡り、
イスラエル国家の建国に一歩踏み出すまでを描いた作品ですが、
ついさっきまでナチスから受けた仕打ちに涙していたユダヤ人達が、
一転して、情け容赦なくパレスチナのアラブ人達に襲いかかる姿
は、
レオ・フルヴィッツの言う「誰もが怪物になり得る」
実証のように思えました。
おそらく、アモス・ギタイ監督もユダヤ人の立場から、
同胞の姿を皮肉と自嘲を込めて描いたのだと思います。
(正確には、イスラエルに生まれたアラブ人の立場から)
















この映画で描かれたアイヒマン裁判のテレビ放送は、
ホロコーストの真実が、映像として明るみに出た最初の瞬間だったそうです。
もちろん、この放送が無くても、いずれ明るみに出たかもしれませんが、
下に紹介するユダヤ人女性のセリフにあるように、
強制収容所での体験を語っても、誰にも信じてもらえず、
ユダヤ人達は口を閉ざしていた
ので、ここまでの真実が露呈する事は
無かったかもしれません。

戦争の記憶が新しく、実際に迫害を受けた人たちが生きている間に、
この裁判が行われ、生の証言が世界中に発信された事は重要だった
のだと思います。この裁判をキッカケに、ようやくユダヤ人達は
「自分たちの体験を話しても良いのだ」と思えるようになったのだそうです。


強制収容所を経験した女性レオ・フルヴィッツに語ったセリフ>
「私たちは口を閉ざしていた。でも聞かれる “あなたは誰? 何があったのか?”
それで、ありのままを話すと“ウソだ。作り話だ。そんな事あり得ない。”
(中略)皆は信じてくれず、私たちは沈黙した。寝言のほかは。
裁判が始まってから、その人たちが耳を傾けている。バスで、店で、
カフェで、彼らが聴いている。今朝は市場で少女に
(腕に刻印された)番号のことを聞かれた。
世界中の人が見てるんでしょ? あなたのお陰よ。」



<TV放送の製作に参加したユダヤ人カメラマンのセリフ>
「あの人達(裁判で証言するユダヤ人達)は初めて感じてるんだ。
話していいのだと。証人席に立つ証人を皆が見つめている。
そして本当に初めて、傍聴人が身を乗り出して
自分たちの言葉に耳を傾けている姿を見た。顔をそむけずに。」

















この映画の公式ページには、田原総一朗さんなど、
著名なジャーナリストや専門家からのコメントが寄せられていますが、
森達也氏「平凡な男はなぜモンスターになったのか。
世紀の裁判の舞台裏は圧倒的にスリリングだ。でも同時に、
イスラエルはこの裁判を国策として利用したことも忘れてはいけない。

というコメントが印象的でした。

描き方によっては、完全にユダヤ人寄りの映画になったかもしれないし、
もしそうなったとしても、ホロコーストに関してはユダヤ人が
被害者なので、別におかしくはなかったと思いますが、
この映画では「ドイツ人だろうとユダヤ人だろうと、
誰もが加害者にも被害者にもなり得る」
という視点を貫いているので、
どこかの国や民族だけに肩入れする事なくバランスが取れていて、
そこが、観ていてとても好感の持てるところですグッド!

初めの方でも書いたとおり、単調に感じるシーンも多く、
凄惨な映像もあるので、手放しでオススメ出来る映画ではありませんが、
観る価値のある作品だと思いますグッド! 良かったら観てみて下さいビックリマーク







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「アイヒマン・ショー」予告編




「ケドマ 戦禍の起源」予告編