数々の踊りのあと、「鹿踊り」が始まった。
弓を持つ若者と、雄鹿の頭部の剥製を頭にのせた若者の二人が、
竪笛と太鼓と彫子に合わせて動く。

踊りというよりは無言劇。
「人と鹿との闘い。鹿を狩りながら、鹿が好きな人たちの劇」と見えた。
劇化された狩猟儀礼であろう。
伝香川県出土の銅鐸や弥生土器には鹿を狩る人が描かれ、
大阪府昼神車塚古墳には狩猟儀礼を物語る埴輪群が並べられる。

マヤの戦争では、勝者は、敗者の顎骨を取り、武器の先につけたそうだが、
日本の弥生時代にも、狩った鹿の顎骨を棒に刺したり(奈良県唐古・鍵遺跡など)、
民俗例では部屋の鴨居などにかけ並べる(熊本県泉村椎原など)。