しろくま君です~
低気圧の爆発により強風やら大雨やら竜巻までと発表されたもの落ち着いてきましたね。
昨日は2007年1月でしたが、今日はくりでんの最後の日・・・2007年3月31日最後の運転を公開します。
当時には2007年3月31日付廃止は3つ鉄道があった。これは鉄道縮小化として危機感を感じていたのだろうか。
鹿島鉄道全線廃止(茨城県)、西日本鉄道宮地線縮小、そしてくりはら田園鉄道全線廃止。
栗原電鉄はかつて細倉鉱山から出た硫黄物や鉱産類や沿線の穀物を輸送し、また鉱産で働く人々や沿線の人々たちのために輸送していたがトラックや車普及化が進むと乗客は落ち込み、円高ドル安の影響で硫黄物は輸入物のほうが安いというネックにより細倉鉱山は閉山となり、拍車をかけるように乗客は落ち込んだ。
廃止を検討していたが沿線住民の強い希望で三菱マテリアルから沿線の各町村へ引き継がれた。(栗原市(旧鶯沢町、旧栗駒町、旧若柳町、旧金成町)、登米市(旧石越町))
そして、第3セクターとなった栗原電鉄、1995年4月に再起を図ろうと思い、電車を廃止して気動車へ切り替え、栗原電鉄からくりはら田園鉄道へ切り替わったもの、やはりモータリゼーションには逆らえず乗客増加につながらずまた県から助成金の打ち切りが命取りだったため廃止する得ない判断となった。
かつての栗原電鉄で、1995年3月31日付電車廃止された。(左:駒場駅付近、右:若柳駅)
M15形+C15形によるさよなら電車の運転されていた。
しかし、2007年3月31日付で12年間渡ったくりはら田園鉄道は力尽きたというかっこになった。
なので、最後を収めるべき、また栗原市入りした。
今回もバイクによる移動でなく、公共交通を使っていった。
3月30日の朝に入りしたがあいにく雨だった。
くりはら田園鉄道サイトにて発表されていたがKD10による運転は、3月29日、30日の朝のみ1往復するだけで以降はKD10使わないと書かれていた。
2006年8月にあったクレームによる影響ではないかと。
それも見たく、合わせて30日から栗原市入りしたわけであった。
石越駅に着くと、「さよならくりはら田園鉄道」の書いたヘッドマークに側幕が飾られていて現実感を感じられた。
もうなくなるんだと痛感した。
さっそく、お気に入りの大岡駅へ移動して、撮影。しかし雨、しかも寒かったのか苦労した。
やってきたのがKD10。
細倉行、KD10による最終列車。(いずれも大岡駅)
花束が飾られたヘッドマークが現実感を感じられた。
そして、石越行の列車を撮って・・・。
強い雨中石越へ向かうKD95。(大岡駅付近)
沢辺駅まで歩いて移動。
細倉から戻ってきたKD10と並びを。
KD95とKD10のならび。(沢辺駅)
これも最後。
しかし、雨プラス寒くなったため曇ってきたためあわててふき取ったためきれいに撮れず・・・。
次の電車が来るまでストーブ温まるのもこれも最後・・・。
くりでんの各駅はストーブがあり、昭和のような感じがし、ぬくもりを感じられましたがそれも最後。
細倉行電車を待って・・・細倉行電車に乗り込み、杉橋駅で下車して、いつも鉄橋シーンをおさめて・・・。
名物だったのも最後。
カーブを描くKD95。(杉橋駅)
本当は国道4号線で撮りたかったが移動方法もないし(レンタル自転車はなかった)、鉄道マニアが集中し、混んでいるだろうと思いあきらめていた。
また細倉行電車に乗り、細倉まで行った。ところが雨模様から晴れ模様に代わった。
沢辺駅にて、晴れ模様になったとわかる。
石越行電車にのり、若柳駅で降りた。
いよいよ最後となる夕日を浴びるKD95。(若柳駅)
翌日になれば本当の最後。
若柳駅にとどまっていろいろ撮ってきた。
日が暮れて、くると混雑していたがうそみたいに減ってきて静けさを取り戻し始めてきた。
あの光のロードを撮り損ねた谷地畑駅へ移動して、チャレンジした。
ぼけはなかったが小さい・・・。
光のロードをいくKD95。(谷地畑駅)
最後なのかKD95の後ろ姿が小さく見えた・・・。
若柳駅へ戻り、最後に撮った。
日中はすごく混んでい たのに静かになった。
しかし、廃止便乗、乗り納めで乗る人が集まってきたため時間通りに動けず、また乗り残しが発生したためそれらに対応により、遅れに遅れで最高1時間遅れとなってしまった。
終電を見送った後、ホテルへもどり、次の日に備えて寝た。
次の日、本当に最後の日・・・。
始電は本来、若柳駅~石越駅間は回送になっているが最後もあり、臨時運転として乗客を乗せて運転された。
石越まで行き、さらに細倉行列車に乗り、また沢辺駅に降りて、行き違いを撮りたく撮影・・・。
これが最後となった行き違い。(沢辺駅)
結局、また細倉へいき、そこで撮影して、若柳へ戻った。
しかし、遅れに遅れで30日起きた1時間遅れだったのより超えて1時間半遅れとなってしまった。
急いで細倉へ行く定期列車。
休憩、給油するKD95と運転終了したKD10とDB10.これも最後。
新旧ならびシーン・・・・。今後はもう見られない。
石越へ行くか若柳駅にとどまるか迷った結局、タクシーで移動し、石越駅ホームにて場所取りした。
しかし、晴れ模様から雨模様になった。さらにどんどん人が増えてきて・・・
いよいよさよなら式典がはじまろうとする。
着いたのは細倉行最終電車。
写真は本来テールライトで輝くはずだったがさよならセレモニーを行うが式典場所が暗いため、KD95のライトに便って再度点灯した。
さよならセレモニー中。
これでくりはら田園鉄道は最後となった。
細倉行終電に乗り込み、若柳駅で降りた。
雨模様といえ、最後の涙に雨とは泣けました。
細倉行最終電車にはテールライト点灯し忘れるパプニングがありました。
細倉行最終電を見送り、石越行最終電を見送り、そして石越行終電から戻ってくる回送列車を車庫入りを見届ける予定だったが寒かった影響で体力がかなり失われたた、ホテルに戻りたい気持ちが強まり、泣く泣く回送列車の車庫入りを見届けるの諦めてホテルへ戻った。
そして無事に最後の回送列車の車庫入りが終わり、締めが行われるところに地震が起きたというまでもなかった。
くりでん廃止を残念がっていたのだろうか。
こうしてくりはら田園鉄道は廃止された。
余談ですが・・・すごく怒りに覚えたのは、転売屋です!!
若柳駅、沢辺駅、栗駒駅にてくりはら田園鉄道最後列車証明書を1枚100円で売っていましたが、転売屋がやってきて買占めし、倍数の高値で転売していたのしったくりはら田園鉄道は、一人3枚までという対策を講じたが、それでも切符も買占めされ、それも転売されていた。
さらに、TV局が、切符などを買い占めた馬鹿な輩を取材して、馬鹿な輩は買い占めた切符を自慢に見せびらかせたというあほな場を見て、あきれた。
しかし、TVではどう放映されたかはわかりませんが。
やはり、廃止なので気持ちよく見届けることが大事ではないでしょうか。
罵声大会やら、自分よがりやらで見苦しいことで最後を見届けることはいいものではない。
以上、ありがとうございました!!