しろくまくんです~。


今日まで、録画して貯めていた「八重の桜」をようやく重い腰を上げて見るようにしました。

いまさらおそい!!って思いますがなかなか時間が取れず見られなかったが余裕の時間が取れ、今頃に観るようになったわけです。


僕は、やはり鶴ヶ城には切っても切れない見えない縁があるようです。

鶴ヶ城へ訪問したのはもう3回目です。

しかも、救われたのは会津若松市だとぼくは思っています。

美しきの鶴ヶ城(若松城)

鶴ヶ城はもともと黒川城で、葦名家が立てたもので蒲生氏、伊達政宗も住んでいました。


色々な人が入ってきて江戸時代末期には保科家になり、さらに松平家に落ち着きました。

末期の鶴ヶ城藩主といえば松平容保 でした。

戊辰戦争がぼっ発すると、白虎隊を組み、会津戦争などで活躍していたそうです。

白虎隊といえば、太平洋戦争で例えると沖縄戦において鉄血勤皇隊 とにたようです。


宇賀神

白虎隊19人士像と、血染の旗が祭っています。


白虎隊自刀地

白虎隊が自刀したところで、石像があります。

あそこから鶴ヶ城が見えます。

鶴ヶ城は燃えていなかったが街が燃えていたため勘違いして自刀したと言われています。

そのなかで一人助かりました。


話戻して、鶴ヶ城は、会津戦争において降伏するととも城に城中にいた白い布を集めて縫い合わせた白地に「降伏」を書いたものを掲げたそうです。

また、お城は燃えていなかったが新政府軍から新鋭の砲台をたくさん浴びたため穴だらけ、また崩れかけたところが、取り壊し寸前まで残っていたため写真が残っていました。

http://www17.ocn.ne.jp/~aizua/wakamatu.pdf


鶴ヶ城について詳細はこちら


その会津戦争はじつは、明治に入ってしばらくあとに終戦したそうでした・・・。

ぼくはてっきり明治に入る前に終わったかと思いました。

1868年に白河口の戦いが会津戦争の始まりで、明治元年9月に会津藩降伏により終結。

箱館戦争終結により、戊辰戦争は終結。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E6%88%A6%E4%BA%89

そいう深い絡みがあった。

前記通り、縁があるような感じがするのは、1回目訪問の時には、洗礼を浴びた感じで帰りに引き止めるように白河で病気により降ろされ、病院へ輸送された。

次の日退院した。

2回目は、修学旅行がなぜか会津若松市を組み込んでいた。

3回目は自分が人生においてどんそこにいた頃でなぜか会津若松市から呼ばれて、飛んでいったそのしばらくあと、縁があった。


今に思うことは、見えない縁によって、白河、会津若松市などつながっているように思っていた。