私は直ぐに諦めて、向き合わなかった。

世間の声、母の言葉、人の目、常識とか言うものに、より強く縛られるようになったのは、30代に入ってから。


「もう、いいオトナなんだから。」


縛られると言っても、それを"正解"としたのは自分自身。


中学生の頃イジメにあってから


「人は誰か(チカラを持った者)の言葉によって、何が真実なのかも確認しないまま、自分の態度を変える」


"ボス"の言葉1つで私に真実を聞きもせずに

「明日から無視ね。」の集団行動。


14歳で学んだ。

それが恐れとなって、周りの目ばかり、周りの機嫌ばかりを伺い、空気を読んで、相手が心地よく居られる事ばかりに意識を集中した。自分の心地良さなど、相手の機嫌ありきにして。

自分の事よりも24時間365日ほぼ他人の事ばかり考えていた。

自分の心を見るのは傷ついた時だけ。

それも傷ついた自分を癒すどころか、

『私が悪かったんだ』の自己責め。


そんなこんなで、何をやるにも自信がなくなって、他人の言葉で決定する。

母親は、自分がしんどい思いをしたくないから、"やらせない為"にあたかも経験者の言葉を並べる。(そんな母も私の思い込みからかも)


「人は誰か(チカラを持った者)の言葉によって、何が本当なのかも確認しないまま、自分の態度を変える」


この言葉通りを私自身がやっていた。

母の言葉、大人の言葉、友達の言葉によって、私の行動を選択していた。


『無理。出来ない。怖い』

なぜ、そう思うのか。

ここの自分の心の部分と向き合わず、

他人の意見を真実だと。

その方が恐れと向き合わずに楽だと思っていたから。


『やれるまでやる』ことに無意味さと時間の無駄を感じていた。

『だって、未来に出来てる保証はないもん』

『負け戦はしない。だって疲れるし。』

☝️この時点で既に負けてるのに💦

(もちろん、それでもいい。

それはその人次第。)


"逃げ"

でしかない。

気付かないフリをして、蓋をした。

「この今の人生が私に与えられたもの。」


そう、私自身が与えたもの。


自分のトキメキにすら蓋をした。

「そこでやめたら傷つかないよ!」

「そこでやめたらムダな出費もしないよ」


なのに、ことこんチャレンジして、成功してる人を見て、イイなぁ。と羨んでいる。

『そゆ運命なのね。』

その人の努力と、諦めない姿勢と、何度も立ち上がった所には目を向けようともせずに

「決まっているもの」「選ばれし者」


私の"ため"に諦めて、逃げた結果

私は私のためになっていなかったと気付く。

「正しい」と信じて疑わなかった自分以外の言葉。私の中の答えは??

気付いたから修正して、自分を見つめる。


当時の私には、それが精一杯の選択だった。

だから、だけど、今の自分がある☆