安倍氏国葬に思う日本人の曖昧さ | KCR総研代表 金田一洋次郎の証券アナリスト日記

安倍氏国葬に思う日本人の曖昧さ

 安倍氏の国葬が揺れている。わずか死後1週間での閣議決定に疑問を持つ国民が多いからであろう。ある市民団体は、取り消しの仮処分申請まで行ったが、現状、国葬法なるものはなく、その取り消しの根拠は、個々人の感情や最終的に憲法に委ねるほかないため、あっけなく却下されてしまった。

 根拠法がないため、このままなし崩し的に国葬へと進むと思われるが、国葬を実施するかどうかはともかく、国葬なる儀式をこのまま曖昧なままにしておく方が、もっと違和感がある。日本人は、こうした物事を曖昧なままにしておくことを、しばしば好む傾向があるが、今回の件も、後々において悪い方向へ転びそうな感じで、何とも言えない気分だ。

 オバマ前大統領をはじめ現職のハリス副大統領、メルケル元首相に、マクロン現職大統領、各国VIPがこぞって、国葬の日の参列を予定しており、弔意を示す中、国際社会における日本の存在感を示すことができるという観点からは納得できる。しかし、外国要人が、実際は、国内において国葬の在り方において議論が2分しており、全国民が納得していないことを知らないはずはない。こうしたもやもや感がある中で、もやもやと行い、もやもやと終わるというのが今から感じ取ることができる。

 それでもよいと考える向きもあろう。しかし、今回の前例を作れば、今後も国葬は政治利用される儀式となるのではないか。それ以上に、かような曖昧模糊さで実施をするのは、昭和天皇をはじめとする皇室への侮辱にもならないか。これを機会にどのような人物が国葬に価するのかという極めて重要である議論が、その後できなくなる恐れ。それは日本人の曖昧模糊たる民族性の副作用として、将来、禍根を残すことにならないのだろうか。

 戦前はれっきとした国葬法があったと聞くが、戦後、民間人で国葬されたのは、吉田茂 氏のみ。私が幼少の頃なので、その時の日本の雰囲気は、知る由もないが、今よりは、国民は弔意をもってこの日を迎えたのではないだろうか。その吉田茂 氏さえ、戦後日本の礎を作ったというが、ウクライナ侵攻から台湾有事の兆候が垣間見えるなど、現在の国際情勢が激化する中で、日本の軍事力においては、すべてを米国に任せていた「つけ」が回ってきているような気がする。

 政治家の評価は、その後の国際情勢において大きく変わる。名だたる戦後の政治家が、国民葬で、うまく処理ができているのに、議論を封印し、国葬へと突き進むことにおいて、後々、日本に大きな亀裂を残してしまうのではないかと、危惧している。

金田一