あーなんか疲れた。

 

 

気づくと、

そのセリフを言ってる、

心の中で思ってる、

そんな時期がありました。

 

 

だから、

自分を大切にする

とか、

自分を大事にする、

自分を愛する、

 

 

こういう

フレーズに誘われ、

 

確かにそうだな、

よし!

大事にしよう

大切にしよう

と思って、

一人の時間を作ったり、

なんやらマッサージを受けたり、

美味しいものを食べたり、

好きな人と会ったり、

興味がある場所に出かけたり、

 

やってみたんですが…


実際、

これで

大丈夫ですか?

わたしの解釈間違えてる?

と言う感じで…、

もちろんしないよりは

よかったかもしれませんが、

 

好きなことしても、

なんだか疲労感がでたり、

罪悪感が出たり、

楽しんだその後、

現実に戻ると、

家事育児がめんどくさくなったり、

パートナーにイライラしたり、

なんだか満たされない…

そんな状態でした。

 

 

 

 

スター

 

 そもそも、

何に疲れているのか?を

対話することもなかった

わたしですが、



 

最近はご褒美よりもまず、

 

 

普段

 

“当たり前にしていることを、

自分で認める”

 

 

そーいう

時間を作るようにしています。

 

 

 

この時間を作ることで、

お金をたくさん使わなくても、

誰かに褒めてもらわなくても、

以前よりも

心も体も満たされ、

疲労感も少ない状態になりました。

 

 

 

 

“当たり前のこと”

って、

わたしの場合は主婦業です。

 

 

 

主婦業…

家事、育児

って、、、

 

本当に大変です。

 

 

今でこそ、

楽になりましたが、

子どもたち3人が、

全員思春期に入った頃は、

体力的にも、精神的にもそれなりの

見えないストレスがありました。

 

 

3人分の洗濯、ご飯作り、

お弁当…

それにプラスして仕事。

 

 

何か特別な時ではなく、

そういう、

普段していること、

普段当たり前にしていること、

一番時間をかけていること

を、

 

行っている自分自身が、


わたしやれてるな!

よくやってる!



って

価値を認めてなかったら、

毎日、毎日、

心が満たされることはなく、

疲労感は溜まりますよね。


 

わたしの、

疲労の原因の一つは、

これでした。

 

 

 


 

でも、

 

はじめは、

当たり前にしている主婦業を、

価値があるものだと、

認めることができませんでした。


 

…それは、

家事・育児をしてきてくれた、

自分自身の

母親を認めていなかったからです。

 

 

母がしてきたこと、

母が家を守ってくれていたおかげで、

わたしは好きなことが

できていたんだな、

健康に過ごせていたんだな。

わたしの日々は、

お母さんに支えられていたんだな。

 


そう

きづけたとき、

 

自分自身の主婦業も、

価値があるものだと、

思えるようになりましたにっこり

 

 



母親とつながる、

母親の愛に気づき、

うけとるって、


世界の見方が変わってしまうほど、

パワフルなことなんですね。




 

 

スター


 

ちなみに、

認める時間って言っても、

かしこまった時間ではなく、

手帳を見返したり、

日記を見返しながら、

今週一週間を振り返り、

1ヶ月を振り返り、

今週も、

今月も、

毎日毎日よくやったなーキラキラ

 

 

そんな感じです。

 

こちらの記事にのせた、

〝愛のカタチをみつけるワーク〟

も、おすすめです。






ご参考までに〜