今日で阪神大震災から18年。
私の実家は兵庫県西宮市ですが
当時は家族で千葉に住んでいるため
被災しませんでした。
その時住んでいた祖母は被災し、
しばらくは冷蔵庫に残っていた
牛乳だけで過ごしました。
家のドアや窓は歪みあかなくなり、
唯一あいた天窓から外に出た時に
腰を強打し、その時の怪我が原因で
今は手押し車無しでは歩けません。
当時私は高校生で、ボランティアに
行くことを一切思いつかなかったし、
お金もなく募金もできませんでした。
震災後初めて西宮を訪れたのは、
その時の夏休み。
近所のアパートでは数人が犠牲と
なっていました。
お屋敷が並んでいた屋敷町は
更地になっていました。
小学校の校庭には仮設住宅が
立ち並んでいました。
私の生まれた病院は倒壊して
なくなっていました。
電車からの景色はブルーシートだらけ。
神戸の中心にある古い建物は
倒壊したり、大きなヒビが入り…。
変わり果てた街の姿に呆然としました。
あの時の景色は忘れられません。
うちは壁に大きなヒビが入りましたが
何とか補修すれば住めました。
祖母だけでは片付けもできず、
夏になっても書斎の本棚は全部
倒れたまま、本が散乱していました。
壁のヒビは、真夏の暑い中
首にタオルを巻いて家族総出で
パテで埋めた記憶があります。
何とか住める状態でしたが、
結局その家は数年後に建て替えました。
2011年3月11日、東日本大震災。
勤務先の麹町も大きく長く揺れました。
ただことではないとテレビをつけると
信じられない光景が映りました。
押し寄せる津波に逃げ惑う車。
リアルタイムの映像です。
人が目の前で命を失っていくのに
何もできない自分。
怖くて苦しくて体が震えました。
次の日から毎日繰り返し流れる映像。
TwitterやGoogleの安否確認。
毎日毎日ノイローゼ気味に
見続けました。
何か自分にできないか…
毎日毎日考えていました。
自分なりにその時できることを
しました。
でもモヤモヤが続き、このモヤモヤを
取り除くには現地に行って自分の目で
見てくるしかないと考えるように。
4月初め、主人が1人で宮城県と
岩手県入り。
まだまだ情報が錯綜していたので、
災害ボランティアをしたことのない
自分たちのような人が、現地で
何かできるのかどうか見てきて
もらいました。
翌週から私も参加。
主人が前週に足で調べてくれていた
個人でも応援できる規模の避難所に
支援物資を持って行ったのが
始まりです。
この時初めて津波の被害を見た
わけですが、あまりに何もかも
無くなってしまっていて
現実のこととして認識できず
涙も出ませんでした。
いくつもの場所を回ると、
いつまでたっても信頼関係が
築けないし、個人では限界があるので
特定の場所に通うことにしました。
その考えは功を奏し、通っている
うちに信頼してもらえるように
なりました。
それからほぼ毎週、岩手県の
陸前高田市に通い、5月からは宮城県
東松島市にも通うようになりました。
震災から1年半、ほぼ毎週末東北に
いました。
お金はキツイし友達とも遊べなく
なったりしたけど、阪神の時に
何もできなかった分を取り戻すように
通いました。
妊娠がわかってからは力仕事が
できないので、主人だけが行って
私は現地にはなかなか行けませんが、
今も現地の人たちやボランティア
仲間とは強く繋がっています。
私の東北でのボランティアの根底は
やはり阪神大震災にあると思います。
ボランティア仲間には関西から来て
いる人も多く、やはり阪神大震災の
経験が元になっている話も聞きます。
両震災で本当に大切な大切な命が
たくさん失われました。
このことを忘れません。
そして生まれてくる命を守り、育て、
伝えていきたいと思います。
失われた全ての大切な命に黙祷。
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