最近、20代の若者と接する機会が何度かありました。
最近の若い人と話していると、決まって思うのが、随分素直な人が多いな、ということです。
私が若い頃はもっと屈折していたような気がします。
それに、欲のない人が多いとも思います。
相手に行動を促す時、餌をぶら下げて釣ろうとしても今ひとつ反応がよくありません。
少し前に話題になった、嫌消費世代の特徴なのかもしれません。
嫌消費世代とは、文字通り消費することを嫌う若い世代のことです。
背景には、現状の不景気や将来の暗い見通し、過去のバブル崩壊やいじめ体験等による、自信喪失があるということです。
最近は、この言葉はあまり使わなくなったような気はしますが、こうした世代が主流となったために改めて意識されなくなったのかもしれませんね。
若くして、無欲で恬淡とした生き方ができれば素晴らしい限りです。
しかし、一般論で言えば、欲望を持つということは決して悪いものではなく、むしろ必要です。
社会を前進させる駆動力となります。
それどころか、他者を思いやる拠り所にさえなることもあります。
例えば、川に落ちた人を見て、自分も川に飛び込んで助けようとする時などがそうですね。
その時の気持ちは、「助けたい」という強い欲望のみ。
その一心で、わざわざ自分が溺れる危険を冒してまで飛び込みます。
人助けも欲望のうちです。
純然たる自分だけの欲望も、実は回り回って他の人の役に立ちます。
例えば、お腹一杯ご飯を食べたい、という欲望があれば、それを達成するために一生懸命働いて、お金を儲けようとか、田んぼをしっかり耕してお米をたくさん作ろうとします。
そうして働いた行為により、社会は富んで、周りの人も豊かになることができます。
でも、こんな建設的な欲望ならともかく、「仕事をさぼりたい」とか「楽して儲けたい」というような欲望は何も生み出さないのではないか、と思うかもしれません。
しかし、さにあらず。
必要は発明の母です。
楽をしたいという需要があれば、それを叶えるべく、その仕事をもっと簡単に素早くできるような発明がなされるわけです。
洗濯機や掃除機、草刈機など、重労働を簡単に済ませることのできる商品はいっぱいありますね。
あるいは、音楽を聴きたいとか名画をずっと見ていたいというような欲望も、ある意味、非建設的に見えるかもしれません。
しかし、大勢の人がそういう欲望を持つことにより、需要が生まれ、画家や音楽家が育ちます。
結局のところ、世の中を動かしているのは一人一人の欲望。
これがまとまって大きくなり、社会全体の欲望となり、それを充足するために社会が進歩するのです。
ですから、何かしたいと思ったら「そんなことを望むのは欲どおしい」などと思わずに、堂々と欲望を叶える努力をすべきなのです。
ちなみに、今これを書いている私は「眠い、お昼寝したい」という欲望を感じています。
これが社会を動かす大きな原動力には・・・
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きっと、何かしら、なっているんではないかな?