最近、集団的自衛権の議論が喧しいですね。

 この手の議論になると、賛成派、反対派、お互いが口を極めて自分の主張が正しいことを主張します。

 きっと、お互いが、「どうしてこんな当たり前のことがわからないのか?」と思っていることでしょう。

 ところが、実際に双方が議論しても、決して簡単に結論が得られる訳ではありません。

 議論は平行線をたどって、物別れというのがお決まりのパタンです。

 つまり、自分にとって当たり前のことでも、相手にとってはそうではありません。

 「話せばわかる」とか、「双方の納得いくまで議論を」とか言っても虚しいだけ。

 実際は「話してもわからない」し、「どんなに議論しても納得いかない」ということになります。

 このような事は、政治談議だけにとどまりません。

 学校でのホームルームやPTA、会社での会議や地域の寄り合いなど、色んなところで議論がなされています。

 ですが、その結果が双方納得のいくものである場合は多くありません。



 会議とそれによって得られる結果について、ある調査がなされています。

 数人で一つのグループとして10グループほどつくり、そこである議題について話し合ってもらうこととしました。

 その話し合いの前には、その議題について、個人個人に賛成か反対かアンケートを取ります。

 そして、話し合いをします。

 最後に、グループとして、その議題が賛成か反対かの結論を出してもらいます。

 結果は、

1)もともと賛成の人が過半数のグループでは、グループ全体の意見として賛成

2)反対の人が過半数のグループでは、グループ全体の意見として反対

となりました。

 つまり、最初から議論しなくても、結論は見えていたということ。

 極論すれば、話し合いは、民主的なプロセスを取って決まったという大義名分を作ったに過ぎないとも言えます。




「話せばわかる」とか、「双方納得いくまで議論を」という言葉は一見もっともらしく聞こえます。

 それに、日本は昔から「和をもって貴しとなす」という伝統もあります。

 そしてさらに、民主主義の発達によりますます議論を尽くすことが重視されるようになりました。

 しかし、実態はこんなもの。

 議論によって万事うまく解決するという訳ではありません。

 ある程度、冷めた考えも持っておいたほうが良いでしょうね。