幸せになる気づき
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秘密警察

米国でチウゴクの秘密警察員が2名逮捕されたという。

当然のことながら、日本にも居ることは類推できる。

例によってチウゴクは捏造であると頑強に否定しているが、世界中に現在100余もあると指摘されている事案をみると、どうやら捏造とはいいきれまい。嘘を言っているのはどちらだということになる。

 

まことに厄介な国である。

歴史を遡って出自がC国に関わりがある者であれば、その軛からいつまで経っても逃れられない。他国に帰化しようと、何百年経とうと歴代ついて回って追いかけられる。

秘密警察に目をつけられた者は結局はC国の言うがままになるから、住んでいるその地での信頼が得られない。

小説 : 盃一休

                          盃一休

 

                                                                               百神井 応身

 

(一)

武士はその家禄を従兄弟や縁者にに譲る事で、武士を辞めることができた。つまり武士を辞めるとは、代わりの家禄を継ぐ者を指定する事で可能となった。後は後見人、隠居として武士で居る事は可能であったが、幕府から貰う禄高三十俵二人扶持は変わらない。 つまり実質的に暮らして行けないので、武士を辞めることになる。滝澤馬琴は元武士であったが、武士を辞めて作家になった。

 徳島弥紀(みき)は、先祖が遺してくれていた蓄えが500両余あったので、それを元手にして、家を出た。妹の美弥に彼女が嫌がる縁談を親族から強要されるのを拒みたがっているのを知ってのことであったが、美弥は武家から出て町方に住む自由さを喜んでいた。

 本所近くにある長屋住まいは、毎日が賑やかで、時には紛争になった。

 争いごとは声の大きさがものを言う。暴力沙汰にまずは優先するのである。ある日徳島が外出先から帰宅すると、盃ほどの大きさしかない一休禅師のような風体の男が、庭箒のようなもので、揉めている者たちを掃き出そうとしていた。

 そこに徳島が現れたのであるから、騒ぎは一気に収まった。そうなってみて徳島が気づいたのは、その一休さんのような姿の者をこれまでに見たことがない。

 「いずれにお住まいか」と尋ねると、指さすのは徳島の家の玄関先の小さな窪みであったり、隣の家の窪みであったりした。

 「して、お食事などは如何なされておいでか」との問いかけには、懐から取り出した盃を指し示し、「一日にこれ一杯あれば十分なので、困ることはない」とのことであった。

 「左様でござるか。しからば時分時でもござれば、当家にて昼飯をなされよ」と薦めた。

 そろそろ妹の美弥も帰ってくる頃でもある。

多数決というのが民主主義の原則ではないのか

個人的要求に凝り固まって、他者が死傷することがあっても意識に介すことのないテロ行為のどこが民主的だと言えるのか?

マイノリティの意見を汲み上げることと凶悪な想念から出る行動は、違う扱いをされて然るべきだ。

反社会的に走る者の行動を容認してしまう風潮に、危機感を覚える。

マスコミ及び一部識者?は、コンマパーセント以下の身勝手な要求を庇い過ぎているのだはないのか?

 

毎日新聞も27日のウェブ記事で、「安倍氏銃撃容疑者モデルの映画、上映前に長い列」という記事で、その人気ぶりを「宣伝」し、翌28日には「英雄視せず内面迫りたかった」という見出しで足立監督のインタビュー記事を配信した。

23日に日刊ゲンダイDIGITALが配信した記事では、足立監督は「オレ」にとって「安倍家3代は不倶戴天の敵」と敵愾心をあらわにし、山上容疑者について「最後まで自分が壊れることなく現実に立ち向かった、「尊敬する」と絶賛している。劇中で主役に「(戦士として闘い)星になる」というセリフを言わしめたのは、自らの理想を山上容疑者に投影しているからであろう。足立監督にとっておそらく山上容疑者をモデルとした主役は、自身の「代弁者」なのだ。何より『REVOLUTION+1』という題が、日本赤軍の目指した「革命」の継承者として山上容疑者を位置付けていることを暗示している。

東京新聞も23日のウェブ記事で、足立監督の「現在の若い人はとても生きづらそうに見えるが、もっと自分の心を解き放ち、心を素直に人生をのびのび生きて欲しい」という言葉とともに、同映画を「宣伝」する記事を掲載した。東京によると、この言葉は「若い世代にエールを送る」ものらしい。「事件は決して許されない」としながらも、若者を煽(あお)る記事である。暴力を美化、扇動、助長することは許されない。

人権重視をうたい「リベラル」を気取る朝日や毎日、東京が、日本赤軍という国際テロ組織のメンバーだった人物を「革命家」と美化したり、その人物が殺人をたたえ、正当化、助長するがごとき映画を好意的に取り上げ「宣伝」したりする現実に、リベラル紙の眩暈(めまい)のするような倒錯を確認せずにはいられない。もはや報道ではない。プロパガンダである。

これを見ていた岸田首相襲撃犯・木村隆二容疑者が、同様の犯行に及んだ結果も、同様な反応下にある。民主主義が民主主義として実効ある作用をするには、公安の働きにもっと力を与えるべきだはないのか。

道教が広まればよかった

中国は道教の国でもある。

中心をなすのは「タオ」という道理なのだという。ここから儒教も始まった。

 

老子道徳経の古い写本では、「上篇 徳」、「下篇 道」の編名の順序となっている。「道」・「徳」の順番になったのは、一世紀から三世紀のころとされ、そのころ、章別も行われたとされる。また、老子なる人物が生きたであろう時代と『老子道徳経』が作られた時代には開きがあり、この書は、その系譜に当たる弟子が後年に纏めたものという説や、老子は3人いたという説がある。「道」の内容についても、哲学的な句から、独断的な処世術の句までが混在している。そのため、老子なる人物が生きて著作したであろう時代よりも、もっと古くから伝わっていた諺や名言を、『老子』の編集者は、その著作に取り入れた、とする見解がある。また、古い老子道徳経は、五千字余りしかないにも関わらず、「上篇 徳」、下篇 「道」の順序に分けられている。そのように構成されたのは、本の内容や本の章分けがその原因とはなっていない、と推察されている。老子道徳経が生まれた経緯について考えた場合、古くから伝わっていた諺や名言を作成した人物らがいて、その編集や解説をした人物が「徳篇」を形成し、そこで述べられた道の思想を、増幅した形で「上篇 徳」、下篇 「道」の形に編纂した人物らがいた、ということが考えられる。古い構成を逆転させ、現在のような「道」から始まり「下篇 徳」の形に定着させたのが、老子道徳経であると考えられる要因の一つには、第十八章の、「大道廃れて仁義あり」の句は、孟子と同時期か、あるいはその後輩と同時期の篇者が作成した、と見られていることがあげられる。  

「道」という哲学が廃れてきて「仁義」のような儒教の教えが広まった。

林立した小国家が国を大きくして他国を支配するには、儒教を用いる方が、権力者たちには都合がよかった。

道教は、平和的な集団の集まりであったが、儒教が広まった国々は、争いが内在してしまっているのではなかろうか。

モーリタニアのタコ漁

アフリカを貧困から救った一人の日本人がいる。

アフリカ北西部に位置するモーリタニアは、人口はおよそ300万人。国土の9割は砂漠で覆われており、砂漠と大西洋に沈む夕日が美しい国だといわれる。
 平均月収はおよそ2万ウギア、円に換算すると7千円弱であり、豊であるとは言い難い。2011年のある日、モーリタニアにある日本大使館に、ひとりの男性がやってきて「日本に、これを…」と差し出したのは、お金。それは東日本大震災への寄付金であった。全額は5千ウギア。日本円だと1700円。しかし、彼にとっては月収の4分の1にも当たる大金でした。職員が「あなたのお名前は?」と聞くと、「私は日本の友人です」というのです。
 その後も多くの国民が寄付をするために日本大使館を訪れました。その誰しもが「日本人への恩返し」と口にしました。寄付金は総額4570万円にものぼりました。なぜ遠く離れた日本のために、彼らはそこまでしてくれたのでしょう?

 そこには、モーリタニアと日本の深い絆が隠されていたのだという。
 1960年、アフリカの植民地が相次いで独立、他の国と同じくモーリタニアもフランスから独立を果たしましたが、国を支える主な産業がないため、国民は貧困に苦しんでいました。
 この独立間もない国に救いの手を差し伸べたのが、当時の日本政府でした。水産庁、外務省が全面的に協力して、モーリタニアの漁業を振興してほしいとの命を受けたのが、中村正明さんでした。
 JICA及び海外漁業協力財団から派遣されて、世界各地で漁業指導を行っていた中村がその国に足を踏み入れたのは26歳の時でした。
 当時のモーリタニアは、大西洋に面しているのにも関わらず、漁業という産業が存在しませんでした。主食は羊やラクダなどの肉。魚介類を食べる習慣がなかったのです。人々の貧困生活を目のあたりにした中村は、日本の漁業技術を教え、国を豊かにしょうと考えました。
 しかし、本格的漁業を立ち上げるには、金もモノ(船)もヒト(漁師)もいません。それはたった一人でのプロジェクトでした。
 「絶好の漁場があるじゃないか」――彼はさっそく、海の近くの住民を集め、自分の思いを伝えました。
 「ここには良い漁場があるんです。だから明日の朝4時ここに集合してください」
 しかし、翌朝、誰も来ませんでした。彼らには時間に合わせて行動するという習慣がありません。ましてや相手は見ず知らずの日本人。

 

住民一人ひとりに対して漁業の必要性を熱心に説きました。訴え続けること3カ月、なんとか3人集めることができました。
 「ようやく前にすすめる!」。そう思った中村は、集まってくれた3人に一生懸命こう説明しました。
 「この中に魚が入って、これを上手く獲れたら皆さんの生活が潤うんです。わかりますか」

 中村の指導によってなんとか魚は獲れたものの、まだまだ漁の初心者。船も小さいものしか用意できず、思っていたほどの成果は上がりません。せっかく集まった人たちも一人、また一人とさっていきました。
 「どうしたらいいんだ。こんないい漁場が広がっているというのに」。肩を落としたその時、何かが目に入ります。それは海岸に捨てられているタイヤでした。手に取って中を見た中村は、「これだ!」とひらめきました。
 そこには生きたマダコがいたのです。モーリタニアの海には、上質なマダコが多数棲息していることに気づきました。国を救う一大産業になる可能性を見出した中村はワクワクしました。
 「今日からタコ漁を始めましょう!」。しかし住民は思いがけない反応を示します。
 「そんな気持ち悪いもの、獲ってどうするんだ?」
 彼らはタコを食べないどころか、タコは「悪魔の使い」として触ることすら嫌がっていたのです。
 でも「あなたたちが食べなくても、他の国に輸出できるんです!」
 それが結局、国の経済を救うことになった。

恩義に感じていてくれるのである。

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