平成30年5月30日(水曜)2018年 戦後政治 100歳の老兵と末次一郎先生3 猛烈な抗議
早朝21℃ 南東1M 湿度86% 日の出4:25
今日から、千葉県習志野市議会で宮本市長による議案の提案理由の説明が始まる。大久保職員住宅跡
地が、学校法人正良学園に保育所用地として、30年間貸付られる。792坪。法人の登記簿謄本、役員の
一覧、財務諸表、寄付行為(定款)、財産目録などの資料を要求してる。まだ、落手していない。
中曽根氏の実証的日本外交史にふれる、末次先生への弔辞に戻る。
弔辞 葬儀委員長 衆議院議員 中曽根 康弘
そしてその2日後、78歳の大往生を遂げられました。誠に痛切、哀悼の極みであります。
戦後50年に亘り、表には出ず、純粋の野人として国事に尽瘁し、日ソ、日米、日韓、日中等の外交面におい、、
友好協力の維持と、現状打破、発展への偉大な立役者を失い、事情を知るものとして、暗澹たる気持ちであります。
君は、旧陸軍の情報要員養成学校であった陸軍中野学校を卒業し、復員後は日本の精神の荒廃を憂い、日本
健青会の名において、青年運動を全国的に展開しました。初期においては、終戦直後、私らと共に、在外同胞や旧兵士の引き上げ促進運動や遺家族援護の問題に懸命に取り組みました。また、平和条約、安保条約の締結に際しては、その大綱を支持しましたが、若干の欠陥部分に猛烈な抗議を行いました。
そのようなことから、当時の全国の青年運動の中では、最も思想的に堅実なその指導力が注目されていました。
その仕事は、新樹会の名において今も発展継承されています。
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明治、大正、昭和、平成。戦争
のない時代は、敗戦後の73年
間に過ぎない。実証的日本外交
史の多くは、墓所に封印されて
いる。
平成30年5月29日(火曜)2018年 戦後政治 100歳の老兵と末次一郎先生2
早朝18℃ 東北東2M 湿度82% 日の出4:26
今朝は、JR津田沼駅での街頭活動に向かう。早朝は、さわやかな気温なのでまだ背広を着用している。
通勤者は、すでに上着を脱いで、ノーネクタイの人が増えた。筆者より通勤者は、若い人が多く、歩くスピ
ードがうらやましい。
東京のホテルのエレベーターの扉が開くと、目の前に杖を携えた大柄な老人が2人の現役男性と共に乗
っていた。視線が大柄な人物と合った。すぐに中曽根康弘氏だとわかり、エレベーターに乗れる雰囲気で
はなかった。末次一郎先生の3回忌の法要のときだったと思う。大柄な体を少し猫背にして視線を飛ばす
あの眼光は、今でも記憶に焼き付いているから不思議だ。1秒から3秒の視線にすぎない。
戦争世代の末次一郎先生と中曽根康弘氏との関係は、平成13年7月30日、午後1時からの東京青山葬儀場での中曽根葬儀委員長の弔辞に凝縮されている。なんど読み返しても、読み応えのある弔辞となっている。何回かに分けて、紹介したい。
弔辞P1 葬儀委員長 衆議院議員 中曽根 康宏
去る7月9日午前、君の急変を聞いて、病室に駆けつけた時、君は温顔の中に昏々と眠り続けておら
れました。聞けば、約2日前、瞑目したまま応答がない状況であった由であります。私は勇を鼓して
「末次君、中曽根ですよ」と大声で叫び、奥様も耳元で同じように叫ばれました。その瞬間に君は、パッ
チリと両眼を開け、にっこりと満面喜びの顔で小さくうなずかれました。「長い間、ご苦労様でしたね」と申
し上げると、掠れた声で「皆様のお陰で続けられました」と述べられ、後事について遺言されたように思い
ます。そしてその二日後、78歳の大往生を遂げられました。誠に痛切、哀悼の極みであります。
戦後50年に亘り、・・・・・。
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末次一郎先生の没後、平成14年7月
の一周忌にあたって、追悼集が発行
されている。
平成30年5月27日(月曜)2018年 戦後政治 100歳の老兵と末次一郎先生
早朝18℃ 東北東2M 湿度82% 日の出4:26
日本の政治家、中曽根康弘氏が100歳を迎えたという。大正7年生まれ、第二次世界大戦で無条件
降伏した日本で、第二回衆議院議員選挙に群馬県から立候補した。敗戦直後の吉田茂政権に対して
野党の立場になり、戦後一貫して自主憲法制定を掲げている。
政治活動の原点は、戦勝国米軍占領下での憲法改正にあったのではないか。戦後復興期に広範な政
治活動を展開した。国鉄民営化は、今日のJRの経営再建に直結した。文学の世界に例えれば、中曽根
氏は、森鴎外の様な重厚感のある人物像に感じられる。個性的で、男性的な政治姿勢が、敗戦国日本
の再起を感じさせた。
23歳の中曽根海軍主計中尉の戦争体験は、「一生出会うことのない人たちとの出会い」があったとして
いる。末次一郎先生との最初の出会いがいつ、どうゆうものであったのか。生前の末次先生の説明の記
憶はない。
平成13年7月30日、午後1時。東京青山葬儀場で、陸軍中野学校出身の末次先生(大正11年生まれ)の葬儀が行われた際、葬儀委員長は中曽根康弘氏(82歳)だった。告別式の間、1時間以上、直立して
いた葬儀委員長に驚きの念を抱いた。あれから、17年。日本の戦後復興の最前線にいた老政治家は、100歳を迎えた今、どんな悟りの境地にあるのだろうか。
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100年存命して、政治活動している。
命の限り、蝉しぐれ。
(いのちのかぎり、せみしぐれ)

