それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
ルカによる福音書22章19節
昨日、臓器移植法改正後初の脳死患者からの臓器移植手術が行われた。心臓、両肺、腎臓、膵臓が、臓器提供を心待ちにする患者さんたちに移植された。移植された心臓は動き出し、命の鼓動を響かせ始めた。提供したのは20代男性。生前に臓器提供の意志を口頭で発言していたと家族が話しているという。移植手術を受ける患者さんの気持ちは複雑な様子。執刀する医師は日頃から繰り返している訓練どおりに平常心で臨んだようだ。
臓器提供を待ち望む日本人患者が海外渡航する事例が多く、世界保健機関から自粛を求められている中でのこと。日本人の死生観を大切にしようというのがあってそれも大事なんだと思うんだけど、それよりも、脳死患者の”捏造”という巨悪が発生しないように、いかにして法律を設定しておくか?という命題に挑戦することが前提にあると思う。臓器提供すれば天国に行ける、神様として崇められるなどと言って勧誘されかねない、みるもおぞましい最新の悪を真正面からとらえて監視して犯罪を未然に防ぐほどのスピードで法改正することも必要になるという可能性について共有しておくべきじゃないかという気がする。
昨日、臓器を提供した20歳の男性の家族から自発的に臓器提供の話がされたのか?すすめられたのか?はっきりしないらしい。それでも、脳死と判定され、臓器提供した患者の行いは神様の道に通じるものとして尊敬されなければならない。それをやってどうなのか?疑問符がついていても、人命が失われれば、その行為は尊敬されなければならなくなる、という既成事実化を考慮してルール設定されているか?という懸念を覚えずにはいられない。
神様のことばが、滅びることのない力をもつことに、本当に敬意を払うのであれば、神様のことばを逆手にとるなどという巨悪の芽が出ぬよう、見張っておく必要があるだろう。自らの命をささげた臓器提供者の意志に心から感謝し、尊敬の念を注ぐことが真実であるために。提供を受ける普通の患者さんたちが、命をありがたく受け継ぐことができますように。