①集中力をつけたい。情報処理力を10倍にしたい。うつ病治す治療家になりたい。国家試験に合格したい。
腰痛なんとかしたい。
ひつまぶし食べたい。
②聖書日記2日分つけたい。やっぱこれはむずかしい。次は、職場で生理学の過去問を7~10問勉強したいのだ。
③昨日のアルカホー飲料は0ml
④今日はお客さんに感謝。60分間の施術をしたら、「ずいぶん腰に時間かけてやってるね」といわれてドキっとしてつい反射的にすみませんって言っちゃったんだけど、クレームじゃないみたいなので、持論を展開したら納得してくれて30分延長してくれた。なんでも、腰痛で松葉杖つきながら、神戸のカイロプラクティック治療院に行ったとき、いきなりすんごい痛いことされて、帰りにぶん殴ってやると思ってたら、なんと!腰が痛くなくなって普通に歩けるようになったとか。それ以来、施術者の持論とか治療方針には従うようにしてるみたい。学校の先生も、東洋医学の考え方を一般に普及していく活動によって業界の未来が切り開かれるだろうと言ってたな。ほんとにそのとおりなんだと今日実感したのだ。
⑤創世記49章「ヤコブの祝福」
ダンは自分の民を裁く
イスラエルのほかの部族のように。
ダンは、道端の蛇
小道のほとりに潜む蝮。
馬のかかとをかむと
乗り手はあおむけに落ちる。
主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。
今日読んだレビ記の「清いものと汚れたものに関する規定」を念頭において読んでみると、「道ばたの蛇」は臨在の幕屋の南北の壁面に象徴されているみたい。すると、この「馬」は垂れ幕だ。
彼はろばをぶどうの木に
雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。
彼は自分の衣をぶどう酒で
着物をぶどう酒で洗う。
彼の目はぶどう酒によって輝き
歯は乳によって白くなる。
こちらはユダさんへの預言。ロバは奇蹄目だから、臨在の幕屋内の垂れ幕に象徴されている。ぶどう酒は机に供えられている。レビ記では、死骸に触れたり、運んだりしたら夕方まで汚れてるから、衣服を水洗いするように、食用の家畜が死んだときでも、その死骸に触れたり、その肉を食べたり、死骸を運んだりしても夕方まで汚れてるから衣服を水洗いするように定められてた。それが、ここではぶどう酒で衣を洗うと書いてある。そういえば、箱も机も香をたく祭壇も焼き尽くす献げ物をささげる祭壇もみんな割れた蹄のない4本足だ。このうち、いけにえの血を注いで清めるのは香をたく祭壇と焼き尽くす献げ物をささげる祭壇。箱と机には聖なる油はかけられているけど、血では清められていない。垂れ幕は血を7回振りかけられることがある。その垂れ幕にはケルビムが描かれている垂れ幕は奇蹄目を象徴しながら、なおかつケルビムが描かれている。ってことは、ケルビムはやっぱり奇蹄目なのか?偶蹄目なのか?それとも肉球付きのネコ目か?ベツァルエルさんはケルビムの足をどんなデザインにしたんだろう?
「ヤコブの祝福」では、ユダさんは獅子にたとえられている。獅子はネコ目だから足には肉球がついててこれまた「汚れたもの」。その獅子がロバをくわえてぶどうの木につなぐってことは、「汚れた」ケルビムが、「汚れた」垂れ幕のロバをくわえて、「汚れた」机のぶどうの木につなぐってことになるのか。そうやって汚れたから、衣をぶどう酒で洗う。ってことは、ぶどう酒を血のたとえだとすると、これはやはり垂れ幕に描かれたケルビムに血がかかるから、「彼の目はぶどう酒によって輝」くわけだ。ってことは、ケルビムは獅子にもたとえられるから、ケルビムの足は肉球付きか。