①集中力をつけたい。情報処理力を10倍にしたい。うつ病治す治療家になりたい。国家試験に合格したい。


②今日は夕食時になって、なんかいつもは食べないもの食べたいなと思って、韓国料理屋行ってピビンバと冷麺食べてきた。すっきり冷えてるんだけど、とても辛くておいしかったのだ。


③昨日のアルカホー飲料は0ml


④今日はクラスメイトに感謝。授業で奇経治療というのを習って、丁寧に診察したら脊柱沿いの経絡に明らかに圧痛あり。問診すると最近交通事故で腰が痛むとのこと。奇経治療の診察方法には、ツボの圧痛点さがしのほかにも腹診、脈診などいくつかあり、ほとんどで合致してたので、迷わず治療。手と足に1本ずつちょこっと鍼して、5分ほど置くだけ。これだけで痛みがほとんどとれたという。ウソみたいだけどホントのはなし。この奇経治療は鍼の名人たちの努力の積み重ねのおかげで、今日では診察法と治療法がとてもよく整理されており、誰でも簡単に施術できてほぼ確実に鎮痛効果のあるものになっている。偉大な先人たちに感謝だ。


⑤創世記18章1-12節


主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。
「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召しあがるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」
その人たちは言った。
「では、お言葉どおりにしましょう。」
アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。
「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」
アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。
彼らはアブラハムに尋ねた。
「あなたの妻のサラはどこにいますか。」
「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。
「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。


この場面についてよく考えたことがなかった。よく注意して読むと、乳と子牛料理とある。これって、「子山羊をその母の乳で煮てはならない」というのとちょっと似てる。牛と山羊の違いは何なのかわからないけど。牛肉は山羊肉よりおいしいことは昔から知られていたからかもしれない。
それに、神様が天幕の前の木陰で休んでる。しかも食事してる。これって臨在の幕屋にちょっと似てるかも。臨在の幕屋では入り口の前の祭壇でいけにえを焼き尽くす。一方、幕屋の中の机には、神様にパンとぶどう酒を供える。アブラハムさんは幕屋の前で神様のそばに立って給仕し、サラさんは幕屋の入り口に立って話を聞いてる。もしかして、臨在の幕屋の作り方はこれに準じているのかも。
そして、サラさんに男の子が生まれると預言してる。これって初子だ。もしかすると、神様は牛の初子を牛乳で煮た料理を食べて、サラさんに初子ができると預言したのではないだろうか。臨在の幕屋では幕屋の中に神様ようのパンとぶどう酒を供えて、幕屋の前の祭壇では神様のためにいけにえを焼き尽くす。祭司聖別の儀式で雄羊を調理する時は煮物にして煙にならないようにし、幕屋の入り口で祭司が食べる。神様は幕屋の中ではお肉を食べないみたいだ。そういえば、胸肉と右の後ろ足も祭司の分になる。足ということは腿から下であり、腿といえば「ペヌエルでの格闘」。神様が打ったところはヤコブさんの片方の腿だった。右後ろ足の腿肉を人間が食べるということは、自分自身を食べることを象徴するのかもしれない。