今日は脚気(かっけ)

 

 

よく聞くけど何のことかわかんない病気

 

膝蓋腱反射がなくなるって聞いたことある程度

 

 

 

脚気と呼ばれる所以は

 

心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから

 

脚の病気と思われてきたため

 

 

 

原因は、ひとことでいえば、ビタミンB1(チアミン)の欠乏

 

欠乏するには、摂取不足、吸収障害、利用障害、所要量の増大などが考えられる

 

摂取不足には単純に摂取量が足りていない絶対量の不足と

 

炭水化物の摂りすぎにより、その消化にビタミンB1が動員されために起こる相対量の不足がある

 

消化器疾患があると吸収障害になり

 

肝硬変になると利用障害を来たし

 

お酒を飲み過ぎると吸収も利用も障害される

 

甲状腺機能亢進症や熱性疾患、激しい運動や肉体労働でも所要量が増大するため欠乏状態に陥る

 

 

ビタミンB1欠乏症によるほかの代表疾患には、ウェルニッケ脳症や高ピルビン酸血症がある

 

 

 

脚気の症状は夏季に出ることが多い

 

初期には全身あるいは下肢の倦怠感、食欲不振

 

しだいに下肢のしびれ、知覚異常、多発性神経炎の症状が現われる

 

 

全身あるいは下肢にむくみ

 

押すとすぐにはもとに戻らない

 

 

さらに進行すると上記に加えて

 

運動麻痺、腱反射の消失、手足に力が入らなくなって寝たきりになる

 

脈が速くなり、体を動かすとひどくなる

 

 

血管は弛緩するので拡張期血圧は低下する

 

進行すると心不全になり

 

放置すれば、脚気衝心というショック状態になって死亡する

 

 

脚気の症状は多発神経炎、浮腫(むくみ)、心不全(脚気心、脚気衝心)を三徴とする

 

分類すると乾性脚気と湿性脚気があり

 

乾性脚気は多発性神経炎を主体として表在知覚神経障害によりしびれ、腱反射低下などを来す

 

湿性脚気は末梢血管抵抗の低下から高拍出性心不全を起こして浮腫になる

 

膝蓋骨を叩いて膝関節が伸展する膝蓋腱反射は末梢神経障害の有無を調べるもの

 

 

 

治療としては

 

軽症のうちは食事を改善するだけで治る

 

重症患者にはビタミンB1を5~10mg注射

 

症状が好転すれば1.0mgの内服に切り替える

 

 

予防するには

 

偏食しないで、栄養をバランス良く摂るようにする

 

ビタミンB1を多く含むのは豚肉、鳥もつ、豆、卵、etc.

 

無理な運動、労働は避けるようにする

 

 

 

今では滅多に見られない病気だけど

 

昔は大流行してた病気であり、興味深い歴史がある

 

はじめは白米を食べる民族に多い病気とされていた

 

 

脚気は英語でberiberi ベリベリ

 

スリランカのシンハリー語で「虚弱」を2つ重ねたもの

 

世界中で流行病だったのだ

 

 

江戸時代の享保年間(1716~1736)に江戸で大流行して「江戸患い」と呼ばれていた

 

明治時代になると精白米が普及して脚気による死亡者は年間2万人に達した

 

1877年(明治10年)12月に政府は各府県に脚気の原因究明と療法の調査を命じ、陸海軍当局も調査を始めた

 

白米食原因説、細菌感染説、真菌説、魚毒説、タンパク質や脂肪の欠乏説など諸説が議論された

 

 

海軍省医務局長の高木兼寛は1882~84年(明治15~17年)に海軍の遠洋航海訓練中

 

白米食を西洋食+麦飯に変えることで脚気予防に成功したと主張した

 

しかし陸軍軍医部も一般医師会も科学的根拠がないとして認めなかった

 

日清戦争のときには森林太郎(森鴎外)も、麦飯の支給に反対している

 

白米はありがたいご馳走だという当時の兵士たちの感情への配慮もあったと思われる

 

 

一方、バタビア(ジャカルタ)の病理研究所長エイクマンは鳥類白米病を発見したと報告

 

つまり、脚気は白米食との関係が深く、特定物質の欠乏症状である可能性が唱えられ

 

有効物質の発見に努力が注がれた

 

 

1910年(明治43年)鈴木梅太郎は特定物質の抽出に成功し、アベリ酸、後にオリザニンと名付けた

 

1911年ロンドンのリスター研究所でフンクが特定物資を純粋な形で抽出することに成功してビタミンと命名

 

これが世界的に認められ、ビタミン発見の第一号となった

 

 

しかし、ビタミンB1が発見された後も、脚気は相変わらず難病として認定され続けた

 

その理由として考えられるのは

 

ビタミンB1製造を天然物質からの抽出に頼っていたため値段が高かったこと

 

元々消化吸収率が良くない成分であるため、発病後に当該栄養分の摂取が困難であり発病後の治療が困難であったこと

 

  

1923年(大正12年)には脚気で2万7000千人もの死者が出て

 

結核とならぶ2大国民病として恐れられた

 

昭和期に入っても1938年まで、国民の脚気死亡者数が毎年1万人から2万人の間で推移していた

 

 

脚気が完全に根絶されたのは1952年になってから

 

この年に武田薬品工業が高吸収率を誇るビタミンB1誘導体の工業生産に成功して販売開始

 

安価かつ発病後もほぼ確実にビタミンB1の摂取が可能になった

 

 

しかし、1975年には脚気が再燃する

 

スポーツをよくする若者を中心に広まったのだ

 

その原因は運動をよくすためにビタミンB1の所要量が増大する一方

 

砂糖の多いソフトドリンクやインスタントラーメンなど

 

ビタミンの少ないジャンクフードを頻繁に食べていることが考えられている

 

 

 

脚気と闘ってきた歴史は永く、世界中で多くの人が亡くなってきた

 

日本においては

 

ビタミンの先覚的な業績を挙げたのが海軍軍医の高木兼寛さん

 

ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎さん

 

として業績を讃えましょう

 

 

今日、微量栄養素ビタミンは誰でも知ってる常識

 

でも、この知識のおかげで僕らは「謎の病気」にかからなくて済んでいる

 

昔の人たちの努力に感謝なのだ

 

 

 

あしたも野菜食べよ~っと

 

 

 

では、おやすみなさい☆