昨日、半藤さんの記事のこと書いたけど
あれはほんとにきつい文章だった
危機の時代のリーダーとしては最も不適当といっていい
こういう人たちが一番大事なときにトップに立ったことが、幕末と昭和の歴史の不幸ということになる
「攘夷の精神」は早目につぶしなさい
初めてこれを読んだとき震え上がったものだ
でも落ち込んでばかりもいられない
読んだものにはなるべく返していこう
そう思ってブログを書いているのだ
批判への応じ方を模索しているところなのだ
今日はまた朝からきついものを読まされた
日経新聞の5面
「インタビュー領空侵犯」という
専門外の人からのオピニオンコーナー
「自転車も運転免許制に」という見出しで
吉村作治先生が書いている
狭い歩道をびゅんびゅんと自転車が走り
お年寄りは怖くて右往左往している
こうなれば運転免許制にして、危険運転をしたら免許を取り上げるといった罰則が必要
『自分は正しい』と言わんばかりに歩道を堂々と走り
きつ~い
僕はいつも自転車で歩道をびゅんびゅん走っている
たしかに歩行者のすぐ脇を走り抜けることもある
怖い思いをさせてることもあるかもしれない
これはいかん!
そう思って今日は注意して走ってみた
歩道ではなくて車道を走るようにしたけど
やっぱりまだ整備が不十分
歩行者がいないなら歩道を走る方が安全
歩行者がいれば十分距離をとって
なるべく車道を走るようにする
歩行者にどいてもらうためにチリンチリンはならさない
交差点を走るときは減速して
歩行者と出会い頭にぶつからないようにいっそう注意する
吉村先生は最後にこう書いている
「法に反しなければ、形式さえ整っていれば、何をしてもいいといった気分が世の中にまん延しています。他人に怖い思いをさせても、誤りもせず、平然と通り過ぎる自転車を目にすると、モラルの崩壊を感じます。私の専門である古代エジプト人社会の話ですが、彼らはモラルに反した行為を法律以上に悪いことと認識していました。『死者の書』の中で、人をいじめてはいけないなど守るべき四十二のモラルがうたわれています。自分中心の現代人への警告のように読めます」
まったくそう思う
僕自身も反省しよう
しかし
運転免許制はどうかな
社会が発展して
倫理だけでは不十分だから法律ができたんだと思うけど
倫理が忘れ去られて法律だけ守ればいいってことになったら意味がない
そこでますます法律で縛らざるを得なくなって
ますます倫理を思い出す余裕がなくなって・・・
うーん、どうなんだろう・・・
倫理、モラルが無理なく自然に発生して守られる
そんな社会ってどんなだろう・・・
さらにまた
グサッとくる記事が
AERAを読んだら
「週間新潮」の朝日新聞社襲撃事件「実行犯」による手記という記事について
佐藤優さんが謝罪記事を書いている
結果的に
手記の言説を強化する唯一の意見を述べてしまったとのことだ
謝罪のあと
この件が雑誌ジャーナリズムに影響することを危惧して
こう述べている
公権力がスクリーニングした情報しか、100%確信できないとなれば、官僚に報道の判断基準を委ねることになりかねません。雑誌媒体が過度に臆病な報道姿勢になることを恐れます。それが知る権利を阻害することになるからです。
これを読んで今日
僕はず~っと考えている
警察が盗聴した内容も傍受したメールの内容も盗撮した映像も
何故全部が公開されているのか?
その理由がわかるような気がしている
警察や検察が僕のことを秘密裏に調べて判断するわけにはいかないのだ
そう思うと
警察にも検察にもマスコミにもずいぶんなことを言ってきたのだと思う
改めて申し訳ないと思う
警察も検察も僕を聴取せず
マスコミは取材も接触も自粛しているのだから
20年近くの友人とはいえ例外があるのはおかしいと感じるのだろう
牧師には本当に感謝している
ありがとう
もういいよ
後は一人でやっていける
聖書はこれからも読み続けよう
では、おやすみなさい☆