今日は説明をします。
私は2月から聖書を読んでいます。学生時代の女性の友人が牧師をしてまして、彼女の夫は僕の先輩であり、専門学校に通う私の保証人になってくださっています。もう20年近くになるつきあいでして、あまり頻繁な連絡はとっていませんが、学生運動やボランティア活動といったちょっと変わったストイックな活動を共にしていたので、何かあれば結束し得る強い絆で結ばれています。
今年1月下旬に僕の過去が問われたときに、牧師はとても責任を感じたのだろうと思います。それで、毎日教会関係者のみなさんに配信している聖書日課のメールを私にも送ってくださるようになったのでしょう。、永いつきあいの友人が毎日声をかけてくれることは、私にとってとてもありがたいものです。”組織的”共犯ではないかと疑われるリスクを承知であえて僕を支えてくれているに違いありません。家の中を視られ、風呂の中にいる私の全裸まで毎日監視されるプライバシーゼロの生活のなかで極度に孤独を感じていた私にとって非常にありがたい救いとなっています。もしも聖書日課のメールが毎日届いてなかったら、私は自分の過去を突きつけられて耐えられなくなっていたかもしれません。今日も私がこうして生活を続けていられるのは牧師のおかげなのです。本当に感謝しています。
いつもありがとうございます。
みなさんが読んでいると一見して私を聖人扱いする共犯者であるように見えることもあろうかと思います。しかし、毎日のメールを振り返ってみると、私を持ち上げるばかりではなく、親が子どもをたしなめるようなことも少なからずあることがわかるでしょう。先日もこのブログに書きましたが、この牧師は誰に対しても、人がイエスを讃えるように褒め、イエスが人をたしなめるように叱ります。牧師はイエスの弟子として、本当に誰に対してもそうしています。
私はたまにこの牧師の教会を尋ねますが、まったくの友人として接しています。このブログに関わることは、一切話したことがないし、今後も一切話しません。このルールは当然お互いに認識しているので、確約するまでもなく実施されています。
また、学生運動や人権擁護活動などを共にしていたことがありますので、学生のときは読む新聞といえば朝日新聞がいちばんでしたし、週刊誌はAERAや週間金曜日、月刊誌は岩波の「世界」でした。しかし、私の方は25歳で生協に就職してからずっと書店に勤務し、自分なりに勉強して上司や先生方と話をするうちにずいぶん変わりました。特に戦後の日本社会がいたるところで左傾化しすぎていたという認識をするようになりました。
私としては少なくとも学生のときの考え方や主義主張では日本を適切に変えることはできないと思っていますが、ではどのように変えればよいのか?と問われるとたしかにまだまとまっていません。考え方が変わってから、かつての学生運動の仲間とちゃんと議論をしたこともありません。ですから、いまこうして牧師とコミュニケーションをとり、「日の丸・君が代」の問題を突然提起されると、つい焦ってしまいました。こうしてかつての主張を突きつけられたのは本当に初めてでした。
これからは、バラバラでまとまりのない断片的な言いっぱなしに終始することのないようにしようと思います。私自身の考えや主張を整理したうえで提起し、批判があればなるべく応えるように努めたいと思います。
以上、説明でした。
沖縄の合掌犬コナンくんってかわいい!
今日は春の全国交通安全運動のイベントにゲスト出演
たっちして手を合わせる姿が最高!
というわけで
おやすみなさい・・・ナムナム