フィリピン人であるカルデロン一家が在留特別許可を求めている件について


今日はこの問題がどうなったのか?

いちばん気になってアイチャンネルを見てた

そしたら夜になってようやくこの件が報じられてる

20:54配信のこのニュースはいいニュースではない



 不法入国で強制退去処分が確定したフィリピン人の家族が在留特別許可を求めていた問題で、中学1年の長女、カルデロン・のり子さん(13)だけが日本に残り、両親は来月帰国することになった。

 これまでに東京入国管理局は「日本で生まれ育ったのり子さんだけには在留特別許可を出すことが可能」として、のり子さんだけが日本に残るか、家族3人で帰国するかの選択を求めていた。

 のり子さんと母親は13日朝東京入管を訪れ、9日に強制収容された父親を交え、最終的な話し合いを行った。話し合いは6時間に及び、のり子さんらは最後まで家族3人で日本に残ることを希望したが、東京入管に受け入れられなかった。最終的にのり子さんだけが日本に残って在留特別許可を受け、両親は来月13日に自主的に帰国することになった。帰国までの間は両親の借放免が延長され、来月8日に行われるのり子さんの始業式を見届けるという。

 のり子さんは「家族3人で日本にいたかったです。私の在留を認めてもらえるということですが、家族3人で日本にいられるわけではないので、うれしい気持ちはありません」と話した。


日経新聞社説には政治家の出番だと書いてあったけど

結局、政治家は出てこなかったか

選挙で頭がいっぱいなのか

日本の入管は昔からかたくなだ

のり子さんの生活はどうなるのか?

日本を良くしていくにはやはり民間でなんとかするしかないようだ






アイチャンネルニュースでは

昨日の夜から今日の早朝にかけて

こんなニュースがあった


12日夜10時半ころ荒川区で放火3件連続発生

12日夜羽田空港で不審者対策訓練


日テレの脚色は比較的控えめだったし

日時もおかしくない


そして警察の目下の関心がうかがえるし

僕自身が昨日の日記で

残るあやしい容疑はストーキングだと書いたので

今日は僕が彼女に会いたくて私費で東京に行った件について

ざっと述べてみよう


僕は事務所に送った手紙はすべて

テキストかワードのファイルにしてPCに保存してある

私費で東京に行った日の直後に投函した手紙をざっとチェックしてみた


すると

彼女に会いたくて私費で東京に行ったことを

事務所に送った手紙に書いてないのは2件あった

2006年10月8-9日と2006年12月24-25日だ


他はすべて事務所に送った手紙に書いてあり

すでに多くの人が読んで知っていることだ


では、はじめよう



初めて会いに行ったのは

2005年8月19日のことだった


初に見る姫の姿に冒険王、会わずとも好き、会って更に好き

 8月19日金曜日、東京行きのぞみ48号で、前日に読んだ「きけわだつみのこえ」を反芻し、iPodでMy Heart Will Go Onを聴いてたら涙がひとしずく流れました。
 午後2時ごろ、靖国神社に到着。小学生のとき空手の試合で武道館に来たついでに拝して以来です。山で祈るときの集中していくような感じとは違って、なんだか霧のようなものが広がっていくような感じがかすかにしました。やはり、まだ隔たりを感じます。軍国主義の復活を願うことになるんじゃないかという単純な疑念に憑かれて久しく、戦死者を思う経験の浅さに恥じ入るばかりです。
<中略>

午後4時ごろ、東京タワーに到着。途中乗り換えの麻布十番駅で、浴衣姿の人がいっぱいいました。亀すくいって、いったい亀がどんな目にあわされているのでしょう?ちょっと立ち寄ってくればよかったと思います。
展望台に上がって地上を見下ろしながら、靖国参拝の余韻を残しつつぐるぐると歩き回りました。超やばい時代にこの国を守らなきゃならない立場にあって思い切って何かすれば、問題が起きるのが普通です。最初から起こしたくて起こすわけではないし、何もしなければしばらくは無問題だけど、時が来ればどうしようもなくなってしまいます。だから、私みたいな愛国心のないコスモポリタン気取りから、差別しちゃダメ!とかもっと福祉を!とか言って不十分なところをあげ足取りされたら、おいしいとこ取りされてるようでめちゃムカつくやろなあ、と初めて思うことができました。人々や国々がそれぞれに好きなものを生産していく方向へ進むことができずに、隣人どうしが既にあるものを取り合う泥仕合へずるずると陥っていくとやがて共倒れになりかねません。国際的にそう言えるのなら国内的にもそう言えるんだなあって、今さら気づいています。世界の中の日本国という入れ子の構造において、対立と協力を再配分する必要がります。
ふと目線をあげると小さな神殿があります。天照大神が祀ってあって、こういうのよくあるよなあと思って通り過ぎようとしたけど、「縁結び」の文字列が目に入ったとたん、10円玉を投げて合掌しました。

午後7時ころ有明ワシントンホテルに到着。夕食とってすぐに寝ようとしたけどなかなか眠れず、結局午前4時ごろまでカーテン全開の窓から有明の満月を眺めていました。
8月20日土曜朝。イルカに乗っている君を観て、
あのイルカになりたい! じゃなくて
俺がイルカに乗りたい! と思いました。
めちゃめちゃうらやましいです。
 ぎりぎりまでボケーっとして午前10時前にチェックアウト、ゆりかもめで台場へ。10時半にはもう社屋に着いて、7F屋上庭園を下見したら、まだガラガラでした。拍子抜けした私はアクア・シティーで時間をつぶし、12時50分ころに再びやって来ると、ひぇ~!すごい人だかりでした。ステージ付近に行くのはもう無理なのでとにかく視界を確保しようと思い、ステージ正面の向かい側に設置されたカメラのそばでカバンを降ろし、登場を待ちました。
 私はテレビを観ていて、Sさんから正しい日本語をいくつか教わったような気がします。でも、直にみると白人っぽく見えました。「あ○○ど」ってコンビ結成11年だったのか!Yさんのエディ・マーフィー声とジム・キャリー声が直に聴けたのは大収穫でした。ちなみに私は「ドクター・ドリトル」と「マスク」が好きです。実を言うと、テレビ・タレントを直接見たのは記憶の限りでは初めてでした。
直に見る、君はいっそう美しい。
 観客の女性2人が「ほそ~い♪」とハモってました。たしかに、テレビで観るよりずっと細いなあと私も思って、試食している君を見て「ちゃんと食べなさい」とつぶやきました。
 試食はさせていただくつもりでいたんですが、正直いって臆病風に吹かれてしまいました。実は、めちゃめちゃ緊張していてぜんぜん食欲が無く、結局会場で何も食べられなかったんです。申し訳ございません。
 午後2時半からの第二部。こんどはトロが舞台袖に引っ込んだ2時10分ころにステージ前に来てみました。やはり、最前列の人たちは動きません。雑誌記者らしき人たちが陣取るなか、2列目をゲット、富士山カレーのプラカードの前で、紺色のシャツを着ていたのが私です。
 君と見つめ合った数秒間、私のなかで生と死が対立するのをやめました。
 でも、終了間際に君が手を振ったのに応じて私も手を上げたら、他の男性たちからも一斉に何本もの手が上がったので苦笑しました。やっぱすごいなあと思いました。そして、観客を退屈させず、かつ内容をわかりやすく展開していくみなさんのお仕事ぶりに関心しました。おつかれさまでした。

 午後4時すぎ、新大阪行きのぞみ125号車内で、私はズドーンと落ち込んでいました。本当に私を見分けられたのかな?てゆうか、私自身が半端な場所にしかいなかったし、目立たなかったし、審査員にもならなかったし、結局緊張しまくってなんにもできなかったじゃねーか!ステージに上がって告白してやる!とか強引に連れ去ってやる!とかとんでもない空想をしこたまやってたくせに何なんだこのザマは!?念のため鞄にしのばせておいたピンクのバラ一輪をそっと覗き込みながら、生まれて初めてのオッカケについて反省しました。

8月21日日曜日。7月に亡くなった母方の伯父の四九日のため、私は車で四国に来ていました。会う親戚みんなから結婚はまだかと訊かれ、私は毎度こう答えました。
「私にはとても好きな人がいます。今はこれで勘弁してください。」
やれやれ

今年の夏期休暇はほぼ例年通りで8月12~23日でした。日常にもどった現在、「これってご褒美かなあ」と思いながら夜毎君の浴衣姿に見入っています。いつかまた顔を見せにいきますね。

手紙版電車男より


個人名はすべて省いてある



2回目は

2005年10月9日のことだった


初暦 君とふれあうつめたい手 <愛>をにぎって言葉失う

 2005年10月9日 初対面初握手
 立場は逆だけど、私にとっても初でした。

 君の両手の感触は忘れられません。ほっそりとしてふわっと柔らかくてスベスベに感じる触覚が脳に直接記録されたかのようにはっきりと憶えています。今は、君の手の感触が内側から全身に伝わっていくように感じています。

 1000人くらいの人と2時間くらいで接するとしたら、実質は1人あたり5秒くらいしかないだろうと思い、3日ほど前から何を語りかけようかとあれこれ考えていました。でも、いざ間近に見ると、本当にきれいなのでドキドキしてわけがわからなくなってしまいました。外見では平静を保っていたかもしれませんが、中身はてんでダメになっていたんです。最低これだけはちゃんと言おうと思っていたのが、「お仕事、応援しています」の一言でした。声が上ずっているのが丸わかりだったでしょうね。

「手つめたいですね」
「冷え性なんです」
「私もです」
と言って壇上からかがんだ君の顔が少し近づきました。
あの瞬間、私はひとり勝手に感極まって頭の中が真っ白になってしまいました。

 完全にお仕事モードに入ってる君に、個人として訪れた私はいつのまにか距離を感じていたようです。セキュリティと精神衛生を考慮して会場がセッティングされているのはわかるんだけど、「お仕事、応援しています」と言った矢先ですからね。私に向かって丁寧に仕事をこなす君を目前にしていたたまれなくなってしまった自分について、また新幹線の中で反省しますた。帰宅の後よ~く思い出してみると、女性の手を握ったのは約7年ぶりでした。

 今回も学習したので、次回はちゃんと君のお仕事モードに合わせようと思います。手相でもみてやろうかと思ったりしつつ、とりあえず握力鍛えはじめました。第一のファンへの道のりは厳しいけど楽しいです。

新幹線男より




3回目は2006年8月13-15日

このときは彼女に会いたくて行ったんじゃなくて

姉夫婦と甥っ子に会うのと

靖国神社に参拝するのが目的だった



残暑お見舞い申し上げます。
暑さはおさまる気配もございません。御身大切にお願い申し上げます。

 さて、今年の夏も東京に行きました。
 8月13日に甥の顔を見て、14日に靖国神社に参拝して、お台場冒険王に行き、初めて六本木ヒルズの展望台に登りました。
 実は13~14日にホテルグランドパレスで連泊してました。20階の部屋から靖国神社の本殿の屋根が見えます。13日の夜は部屋でお神酒を飲み、14日の夜は23階の鉄板焼店で靖国神社がすっぽり見える窓ごしに飲んでました。15日の朝はヘリコプターが11機見えました。9時30分に首相の記者会見をテレビで観てしばらく後にチェックアウトしました。


 実は今、私は気がふさがっています。靖国問題について語る気がしません。というのは、姉がまた私をメールで攻撃してきたからです。
 13日はまず靖国神社に行きましたが、参拝者の行列が長く時間がなかったので、神酒と「英霊の言乃葉(2)」を買って、姉夫婦宅に向かいました。バンダイミュージアムでウルトラマンのぬぐるみを購入後、おじゃまして最初にしたのは甥っ子の撮影。それから、私の今後のことについて話しました。「東京で仕事をしようと考えている」「今住んでいる持ち家はどうしようか」「恋人は東京で仕事している。それ以上のことはときが来れば話す」・・・・・2ヶ月前にメールで伝えておいたことです。持ち家のことがありますから、話さないわけにはいきません。
 自衛隊事務官である義兄は隊員の再就職支援も業務になっているそうで、そのノリでずいぶん私の状況を突っ込んで質問してきました。そんなことになるとは予想してなかった私は「どうして転職なのか!?」という問いに押されて、上司への不満や組織の問題、人間関係について部分的に話しました。私はたじたじになりましたが、今まで聞いたことのない考え方を拝聴することができたのでとても有意義でした。その横で姉は、私と義兄のやりとりを聞いていました。いつもならチクッと私に嫌味を言ってしまう姉ですが、そのときは義兄が私を追及するものですから、むしろ私に同情的な態度をとっていました。
 しかし、私の恋愛の話になるとやかましくなりました。
「つきあって何年?」「1年半くらい」
「年何回くらい会うの?」「2回」
「あんたから会いに行くの?むこうから会いに来るの?」「私から」
よくわかりませんが、男性から会いに行くのはいいらしいです。人を怪しむ目つきで次々と質問されました。たしかに、一般的な恋愛に比べると状況的にはかなり怪しい交際ですから、私もだんだん困ってきます。というわけで、撤退。
 夕方6時ごろから8時前まで話した後、私は姉夫婦宅を出ました。義兄からいただいた自衛隊グッズと「ポスト純ちゃんまんじゅう」を携えて。ちょっと厳しかったけど、楽しく話せてよかったと思い、上野駅でラーメンを食べて、気分よくホテルに帰ることができました。
 翌14日は朝から停電でマスコミは大騒ぎでしたが、このときの九段下は平穏無事。私は午前中に靖国参拝しました。ピンクのカーネーションとまだ開いてない白菊が2本ずつの献花を供え、10円玉を投げて合掌。私自身が1本の杭となってドーンと地に打ち付けられる感じがしました。今も足裏に感覚が残っています。
 さっと切り返し、にわかに増えてきた私服警官たちをかわして市ヶ谷駅へ。
 ゆりかもめが復旧していなかったので、迂回してりんかい線からフジテレビ社屋に向かいました。東京テレポート駅からすごい人だかりで、まるで平和運動のデモ行進のようにお台場冒険王に進んでいきます。去年は緊張しすぎて何も食べられませんでした。たいへん申し訳ない気がずっとしていたので、7F屋上で何か食べようと思っていました。ところが、2時間待ちとのこと。アクアシティでしばらく考えた私は、潔く撤退することにしました。私1人分のスペースに小さな子ども2人くらいが立っていられるのですから、ここはご家族での来場者を優先すべきとの判断です。ちょうど昼時だったので「UDON」を一杯食べました。私は関西人のくせにうどんよりもそばが好きなんですが、香川の製麺所で食べる讃岐うどんは別格だと思っています。「UDON」もなかなか別格でした。
 次に向かったのは東京タワー。予定外でした。こちらもすごい行列。カフェフラッペを食べ、体を冷却してからまた移動。次は六本木ヒルズ。地図がなくても思いつきで行ける場所といえば限られていました。でも、来て正解でした。東京タワーの上の展望台よりもちょっと上の目線からの景色は最高です。東京の地理がまた少し分かりかけてきました。 東京タワーも六本木ヒルズもパシャっと撮影して姉にシャメを送りました。タイトルに「ここはどこでしょう?」と書いて、無邪気にはしゃいでみせました。
 六本木ヒルズの森美術館で「アフリカ・リミックス」という展示を観ました。アフリカの現代美術を体系づけられて鑑賞したのは初めてです。身体にずしんと感じながら考えさせられました。とてつもなく複雑なものが信じられないくらいシンプルに伝わる芸術です。知らぬうちに「アイデンティティ」という言葉で条件付けられるアイデンティティが問題となる状況。それは他人事ではありません。
 ホテルに帰って生まれて初めて鉄板焼きのお店で食事しました。高いですね。でもおいしいですね。靖国神社を眺めながら、すっかり酔っ払って気持ちよく眠りにつきました。 翌朝は8月15日。テレビニュースで「首相は7時40分頃靖国神社に参拝する模様」と報道されてそのとおりになりました。9時30分には首相の記者会見がありました。
 私にとっての問題はその後発生しました。


ここで姉とやりとりしたメールの全文を載せた


 これを読んで、なんじゃこれは!?とムカついた私は即座に、何も書き込まないそのまんまの返信メールを送りました。
 すると姉からはさらにそのまんまの返信が立て続きに4回ありました。
 明らかに姉は興奮しています。
「学会」とあるのは私の上司の1人が学会員であることにちなんでいます。ファシストというのは、姉が靖国嫌いで、私が九段下のホテルに泊まって靖国参拝すると聞いたからだと思います。どうやら、気に入らないものをいっしょくたにしているようです。
 やれやれ、ずいぶん余計なこと書いちゃったなあと思います。私もとてもムカついて興奮していたのです。とにかく、気性の激しい姉と暮らしてきたために、私がおっとりした女性に憧れていることぐらいは、これを読むだけでご理解いただけると思います。
 今私が住んでいる3LDK築30年のマンションで私と姉は1999年夏から2003年暮まで同居してました。そのころ、私は職場のアルバイトである人妻に恋をしてしまい、そのことを姉に打ち明けたことがあります。だから、姉は現在もそのときのイメージで私を見ているようです。
 もともと恋に超奥手な私は人妻はおろか、恋人のいる女性に対してさえ惚れてはならない!と自分に言い聞かせてきた人間です。ところが、1995年の阪神・淡路大震災後のボランティアで恋人のいる女性を口説くことが解禁になりました。さらに、1999年に人妻からの捨て身のアプローチにあったとたん、そのバリアーは完全に崩壊してしまいました。しかし、不倫はしたことがありません。デートもしてないし、手を握ったことさえ一度もありません。通算して4人の人妻を好きになったことがありますが、私がしてきたことは、好きな人が職場でちゃんと働くことができるようにすることでした。はじめのころは、相手が人妻であり仕事しに来てるということに十分な配慮ができませんでした。露骨に味方になったり、そばにいたりして、迷惑がられたことがあります。でも、私は少しずつ学習しました。たとえば、職場で他のアルバイトさんからはじかれているときは、アルバイトさんたちから私が嫌われるようにするとか、後輩のアルバイトさんが入ってきたら、好きな人に私を仕事の件で叱ってもらうようにするとか、見返りを一切求めないさり気ない配慮をするようになっていきました。そして、そうしているうちにだんだん分かってきたことがありました。人妻に限らず配偶者のいる人たちは、本気ではなくても、本気で恋をしていたころと同じ仕草をしたり、同様な台詞を言ってみたくなるものなのだと。みんな役者になっていくのです。もう新しい恋をしないと誓い合った後にどうしても訪れる切ない時間が、私にもほんの少し分かりかけてきました。頭ではわかってるつもりだったことが、ちゃんと骨身に染みてきたのです。いつしか私には、あの人妻特有の絶妙な色気に対しても、すっかり免疫がつきました。
 しかし、姉はまだ分かっていないようです。人妻には「もう免疫がついた」と言ってるのに、人妻に惚れるなんてほんっと情けない!てな調子の一点張りです。

 私は人情ものドラマを観るといつも思います。家族なんだから、兄弟なんだから仲良くしなさい・・・・・・なんて台詞はもうやめてほしいって。そんな陳腐な一般論のおかげで、姉はかえって傷ついてきたのです。父は亡くなるまでず~っと気づいてませんでした。私が産まれてから姉が4~8歳の頃に、露骨に弟のほうを可愛がる両親を見てきた姉の精神は、臨界点を超えて追い詰められたのでしょう。都合の悪いことはいくらでもないことにできるし、都合のよいことばかりあることにしてしまうクセが完全に常態化しています。そうしないと「正気」を保って社会生活を営むことができなかったのだろうと思います。
 それなのに、まわりの大人たちは相変わらずず~っと無神経でした。「お姉さんなんだから智くんのお母さん代わりになりなさい」などと暗に言い続けてきたのですから。そのプレッシャーに姉がどれだけ押しつぶされてきたことか!自分よりも可愛がられてきたにっくき弟を母のように可愛がらないと親親戚からの愛情を得ることができなかったのです。ほんっとにめちゃくちゃなことです。私にいわせれば狂気の沙汰です。
 けれども/だからこそ、私は姉のことが嫌いです。姉はず~っと保護者面しながらちゃっかり私の欠点さがしをしては、チクチクしてきたのですから。「母親代わり」ですから、人にバレないようにするのはもちろん、自分でも気づかないように無意識にやってきたのです。心の中でうっかり言葉にしないように、無意識かつ慎重にやってきたのです。言葉にすることさえなければ、都合の悪いことはいくらでもないことにできるというのが姉の信条なのですから。姉だって弟を攻撃することがどうしても止められません。私は姉からの屈折した愛憎にず~っと苛まれる運命なのです。
 私は高校3年生のときに姉をボコボコに殴ったことがあるし、本当に殺してやろうと思ったことも何度もあります。殺意というものはいくら経験してもとても慣れられるものではありませんので、絶縁することは本気で考えています。
 正直いって、私は自分の披露宴が怖いんです。父の葬式と納骨の時もさんざんでした。さらにこれから、姉に加えてH.Kも・・・と思うとたまらなくなってきます。

 それでも、私は君と一つになりたいし
 子どもが「きのこ係長」になるのを夢みています


かなり思い切って正直に書いた

というのも当時は僕と姉の関係が

現実とはかけ離れて理想的に描かれる傾向があったので

8月下旬という頃合いをみて

ありのままに書いてみた


ほんとの僕はこうなんだって言いたかったのだ




4回目は2006年10月8-9日

手紙には書かなかった部分だけど

いつどこで何をしたかはだいたいブログに書いた

生まれて初めて書いたブログ

でも10月中旬には削除してしまった


この削除したブログについては

先日9日にこのブログに載せたコメントで

僕自身が証言している

44tomokun というIDを警察が調べればいい


TBSのドラマのエキストラに参加申し込みしたんだけど返事がなかった

初めてのことでわけがわからなかったけど

とにかくエキストラ役に支持されたとおり

大きめのスーツケースをガラガラ引いて東京に行ってみた


たしか8日に新幹線で午後に東京着

日本橋のホテルにチェックインして

目黒にある有名なカレー屋さんで夕食

寄り道した記憶はなくホテルで就寝


翌9日チェックアウトしてとりあえず東京駅へ

スーツケースが入るロッカーを探して駅ぐるりと廻った

ようやく大きな空きロッカーを見つけて預け

新宿へ向かった


彼女の姉の仕事を見ることにした

ずいぶん時間があったので

駅周辺を歩き回ってみた

東急ハンズでビーズ細工ようの工具を買った

書店で文庫を買ったような覚えもある

エクセルシオールでパスタとコーヒー

パントマイムを見物して楽しかった

彼女の姉は遠くからしか見えなかったけど

髪の毛の色がうすいのがわかった


少しだけ見てまっすぐ東京駅へ

その日の夕方に新幹線で帰った




5回目は東京へ行ったのではなくて

彼女に会いたいがために事務所に電話した

そのことで謝罪文を書いて送ったので

これも残してある


2006年11月12日
株式会社○○○○○○○御中

お詫び

拝復 時下ますますご隆盛のこととお慶び申し上げます。
 さて、先日、私から貴社に度重なるお電話を差し上げ、トラブルを起こしたことについて、お詫び申し上げたく存じます。
私が電話しましたのは、去る10月30日、31日と11月6日、7日、8日で1日につき1回、計5回です。すべて昼過ぎの時間帯でした。貴社で仕事をされている皆様に、明確な用件を告げずにお手数をおかけしたことをお詫び申し上げます。
実は、私から貴社への用件は、貴社に所属するMさんと何らかの方法でお話させていただきたいということでした。大変無理なお願いであるとは知りつつも、社長に直接お願いしようと考えておりました。
現在、私はMさんを応援するあり方として上記の行為は間違っていたと認識し、深く反省しております。今後は貴社を通じて催される各種イベント等への申し込み及び参加、Mさんへのファンレター等の送付、ウェブサイト、ブログへのコメント書きやメッセージ送信等の行為をこれまでと変わらず行なわせていただきますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
しかしながら、貴社にはたいへんなご迷惑をおかけ致しました。もし、貴社がMさんと協議の上で、私がMさんを応援する行為を一切すべきでないと判断されるのでしたら、その旨をご連絡いただきたく存じます。その場合、私はその意志に全面的に従い、Mさんを応援する行為ならびに、Mさんに接触する目的でMさんと彼女に関係するすべての団体、個人に近づこうとするあらゆる行為を一切行なわないことを約束させていただきます。
以上、書中をもってお詫び申し上げます。
敬具



会社からの連絡は何もなかった




6回目は2006年12月24-25日

先日の3月6日に供述した部分

http://ameblo.jp/kc76native/day-20090306.html



雑誌にはグラビアの女性がとても美しく

年末は忙しいからクリスマスじゃなくてもいい・・・

と書いてあった


去年僕は12月24日に仕事で

どうしても彼女に会いに行けなかった

だからなんとかやれるだけのことはやって

誠意をみせたかったのだ

12月25日早朝

帰宅するときに書いたブログがこれ

http://ameblo.jp/kc76native/entry-10022194215.html#cbox

同じ日の彼女のブログに

彼女が同じかっこをした写真が載ってる

彼女といつもいっしょに仕事してる男性もこのときのことを日記に書いている





7回目は2007年1月3-4日

これも先日3月6日に供述した

http://ameblo.jp/kc76native/day-20090306.html






9回目は1月23-24日

10回目は2月13-14日


これらは一通の手紙に書いて出した



2007年2月5日
Mさん関係者の皆様

一生のお願いです。

 いま、私は危機に瀕しています。どうしてもMさんにお会いしたいのです。そこで、みなさまにお力添えいただきますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。
 
 昨年の3月14日ホワイトデーに私はシフォンケーキをお送りしました。ところが、出来は悪かったようでした。気を遣っていただいたようですが、私は迷惑をかけてしまったと反省し、次のバレンタインデーとホワイトデーにリベンジすると手紙に書きました。そして、いよいよそのときが迫りつつあります。

 バレンタインデーはMさんが好きなチョコバナナシフォンケーキを作ります。現在、試作しており、要領はつかんでいます。焼きかげんは大丈夫です。問題は、保存だと思います。宅配便だとどうしても翌日着になります。クール便を使うという方法もありますが、新鮮なまま届ける確実な方法は、私自身が伊丹から日テレまで数時間で持ち込むことです。実際には、前日には作っておいて冷凍します。翌日昼にそれをクーラーバッグに入れてゆっくり解凍しつつ上京すると、夜中には食べごろになるという算段です。既に、自宅で実験しています。

 最大の問題は、私から直接チョコバナナシフォンケーキを受け取っていただけるかということです。汐留の日テレ社屋は1月23・24日に下見しました。2階受付の方にも、1階北出入口の警備員にも尋ねましたが、タレントさんへの贈り物などは一切受け取れないし、受け取っても届けられる保証はないと言われました。したがって、Mさんと日頃から共に仕事をされている皆様のご協力をいただきたいのです。つきましては、2月13日(火)19:00には日テレ2階ロビーに着きますので、小さめの白いクーラーバッグを携えた私を見つけて案内していただきたいと思います。そして、終了後日付変わって2月14日バレンタインデーに、私が直接チョコバナナシフォンケーキをお皿に盛り付けてMさんに手渡し、召し上がっていただくというのが私の希望です。何卒よろしくお願いします。


これで最後になるでしょう。




東京へ向かう新幹線の中でブログを書いてた

http://ameblo.jp/kc76native/entry-10025619551.html#cbox

http://ameblo.jp/kc76native/entry-10025625901.html#cbox


僕以外のコメントはすべて彼女の覆面ブログだ

読んでわかるように

僕は玉砕するつもりで行った


2月13日夜7時から9時までロビーで待ち

外に出てからも玄関近くで遅くまで待ってた

夜中になって宿を探し初めてカプセルホテルに泊まった







あと11回目がある

彼女の姉の回復を見るだけだった


2007年3月9-10日

新宿のホテルに泊まってテレビ観てただけだ







以上が

彼女に会いたくて私費で旅行した

全部だ